富山の歴史・文化
越中国から富山県へ
古代、ここ北陸地方は越の国(高志国)でしたが、
645年の大化の改新後、越前、越中、越後に三分割されて、越中国となり、
746年に越中の国守として赴任した大伴家持は、この地で多くの歌を残しました。
中世は武士興亡の時代であり、源平の倶利伽羅峠の戦い、
真宗本願寺派の寺を拠点に一向一揆など幾多の争いが続き、
近世になると佐々成政が越中を統一し、その後は加賀藩の領国となりました。
そして1639年、前田利次を初代藩主として富山藩が誕生、
明治の廃藩置県により、1871年に富山県が生まれました。
変わらない万葉のふるさと
奈良時代、大伴家持は国守として越中の国府(現高岡市伏木)に着任し、5年間を越中で過ごしました。「万葉集」の代表歌人としても知られる家持は、この地の山河や植物など美しい自然に魅せられ、在住中、実にに223首もの歌を詠みました。県内には、万葉に関する歌碑が100余り、「万葉集」の歌枕が約140語も残されています。いまも変わらぬ万葉のふるさとを訪ねてみてください。
時代を超えて伝えたいもの
加賀二代藩主、前田利長の手厚い保護のもと、7名の優秀な鋳物師から始まった「高岡銅器」。真宗本願寺派の古刹、瑞泉寺の再建の際に京都の御用達彫刻に地元の大工らが彫刻の技法を習った「井波彫刻」。そして先用後利など顧客との信頼関係を積み重ね、薬を使う人の健康だけでなく心の癒しも提供した「越中売薬」など、人々に親しまれてきた富山の物産は、長い歴史と伝統を誇り、さらに昇華させながら受け継がれています。
美しい日本の原点がある
急峻な山と谷のはざまで独自の伝統文化をつたえる世界遺産「五箇山合掌造り集落」、屋敷林にかこまれた家々が点在する美しい農村集落「砺波平野の散居村」、哀調帯びた胡弓の音色とともに三日三晩踊り明かす「越中八尾おわら風の盆」。自然や祖先への感謝を忘れない心の豊かさ、四季折々の祭りや文化は、いまも富山の人々の暮らしの中で生き続けています。

