- posted 2025.09.22
富山県でしかつくれないクラフトウイスキー 〈三郎丸蒸留所〉の挑戦と軌跡
記事公開日:2025.04.23
- posted 2025.09.22
スモーキーな味わいにこだわった缶ハイボールが一大ブームに
ウイスキーは時間とともに育つ酒です。蒸留された瞬間から、熟成を重ねることでその表情を変え、長い年月を経てようやく完成します。手をかけすぎてもいけません。自然の力を信じて、待つことが求められます。
〈三郎丸蒸留所〉は、そのウイスキーづくりの技術と情熱を詰め込んだ“缶ハイボール”でご存じの人も多いはず。「スモーキーな香り」を探求し、独自の製法と熟成技術により、突き抜けた個性をもちながらもバランスのとれた心地よいスモーキーさを実現しました。クラフトウイスキーとしての個性を大切にしながら、気軽に楽しめるスタイルで提供することで、新たなファンを生み出してきました。
「三郎丸」とは、蒸留所がある地域の名前。砺波市や富山県の名ではなく、より地域密着の「三郎丸」を冠して、富山の素材にこだわり、富山の職人技を活かしたウイスキーづくりからは、地域を大切にしていることが感じられます。土地の力を最大限に生かした、ここでしかできないクラフトウイスキーです。
IT業界から家業へ 三郎丸蒸留所の変革を決意
三郎丸蒸留所の母体である〈若鶴酒造〉は、日本酒の製造を生業とする蔵でした。創業は1862年。長い歴史を持ちますが、ウイスキーづくりを始めたのは戦後、1952年のこと。
2015年に若鶴酒造の5代目となった稲垣貴彦さんは、それまでは東京で外資系IT業界に身を置いていました。次第に「自らの手で形を生み出す仕事がしたい」という思いが強くなり、富山へ戻ります。
帰郷した稲垣さんを待っていたのは、「廃墟になる一歩手前」の蒸留所でした。長らく本格的な投資が行われず、老朽化が進み、設備は時代遅れ。
蒸留所の未来を模索するなかで、稲垣さんは倉庫の片隅に眠る1樽のウイスキーに出合います。それは1960年に蒸留された「若鶴モルト」でした。封を開け、一口飲んだ瞬間、稲垣さんのなかで何かが目覚めました。半世紀以上の熟成を経たそのウイスキーは、まろやかで奥深く、時を超えた存在感を持っていました。
「これが、曾祖父が残したものか」
それは、ただの酒ではなく、若鶴酒造の歴史そのもの。この原酒との出合いが、稲垣さんの決意をより確かなものにしたのです。
世界初の鋳造製ポットスチル 富山・高岡銅器製〈ZEMON〉の開発
三郎丸蒸留所の再興にあたり、稲垣さんはただ復活させるだけでなく、唯一無二の、さらに富山であることを誇れるウイスキーをつくることを目指しました。その象徴ともいえるのが、〈ZEMON(ゼモン)〉というポットスチル(蒸留器)です。一般的なポットスチルは鍛造による銅製ですが、稲垣さんは富山県高岡市の伝統産業である高岡銅器の技術を応用し、銅と錫の合金による鋳造製ポットスチルを生み出しました。
高岡銅器は、400年以上の歴史を持ち、仏具や工芸品のみならず、精密な金属加工技術で知られています。その高い鋳造技術をポットスチルに応用することで、約80年という耐用年数を実現。熱効率も良く、従来に比べて同じエネルギーで蒸留できる量が188%に上がるという。さらにZEMONは錫の効果により蒸留の過程で生まれる香味成分を引き出し、まろやかな酒質を生み出すといいます。
これだけ大きなものを、鋳造でつくることができるメーカーは全国でもそうありません。製造元の〈老子(おいご)製作所〉は、梵鐘をつくるメーカーで国内シェアは約70%。なんとなくかたちも似ています。
「若鶴酒造から車で10分ほどの場所に老子製作所はありますが、そのくらいの近い距離感ではなければ完成しなかったのではないかと思います」と稲垣さんが言うように、世界初の鋳造蒸留器は難しい試み。それだけに稲垣さんは老子製作所を何度も訪れたといいます。まさにローカルだからこそ生み出すことができた傑作です。
話題性のあるZEMONが、高岡銅器の伝統や産業において活性化に役立つことを、稲垣さんは期待します。
このZEMONの誕生によって、三郎丸蒸留所のウイスキーは味わいも背景のストーリーも含めて唯一無二の個性を持つものとなり、日本のクラフトウイスキーの中でも際立つ存在になりました。
ウイスキーと持続可能性は、切っても切れない関係
ウイスキーは長い時間をかけて完成する酒です。20年、30年という時間をかけていくなかで、その間に自然環境が変わってはつくることができません。だからこそ、当たり前のように持続可能なものづくりが求められます。
三郎丸蒸留所では、環境負荷を減らすための取り組みを積極的に行っています。例えば、蒸留の際に発生する熱を再利用するプレヒートタンクの導入により、年間で約30%、約70トンものCO₂削減を実現しました。
「ウイスキーはロングタームのビジネスなので、初期費用が多少かかっても環境保全やエネルギーの節約は、将来的に考えれば大きなこと。長く続けていくうえでは欠かせない視点です」
初期投資を仮に10年で回収するというと、それなりに時間がかかるように感じるが、ウイスキーにとってはそれほど長いわけではないのです。
木という自然素材を使って、樽の事業もスタートしています。樽のほとんどは海外からの輸入で、国内に樽工場は少なく、メンテナンスも簡単ではありません。材料となるオークはすぐに生長するわけではなく、樽の需要の高まりに生産が追いついていない状況です。
そこで稲垣さんが目をつけたのが、「ジャパニーズオーク」と呼ばれる日本特有のオーク材、ミズナラ。富山県にも多く自生していますが、その発端は全国の森林で問題になっている「ナラ枯れ」でした。ミズナラを樽にして活用していけば地場産業の活性化になるし、森林保護にもつながります。
「ウイスキーは特に水がないと成り立たない商売です。木を伐って樽にして付加価値をつける。その収益でまた木を植える。そうやって水資源を確保していきます。渓流釣りを30年以上やっていて、山に入って肌で感じたことです」
南砺市の井波地区には「井波彫刻」という木工の伝統技術が残っています。その井波にある〈株式会社島田木材〉の協力により、「三四郎樽」が完成しました。ウイスキーに使う仕込み水と同様の水で育ったミズナラからできた樽。相性が悪いわけがありません。
また、樽を修理・再利用する工房〈Re:COOPERAGE〉も設立しました。樽は乾燥するとゆるんでくるのでタガを締め直したり、割れた箇所を交換したりします。「ジャパニーズウイスキーを産業にしたい」という理由から、自社の樽のみならず、全国から樽の修理も請け負っているといいます。
稲垣さんいわく「ウイスキーにとって、樽は容器ではなく原材料」。たしかに樽が味や香りの大きな部分を左右します。そういう意味では樽づくりも酒づくりの一環なのでしょう。
時を超えるウイスキーを富山の地で
持続可能性という視点は、環境負荷の低減だけにとどまりません。三郎丸蒸留所が何よりも大切にしている地元への恩返しが、持続可能性を語るうえで大きなポイントです。
1953年の火災で蒸留所が全焼したとき、再建を支えてくれたのは地元の人々でした。数百人もの人が復旧作業に駆けつけ、蒸留所の再生を手助けしました。その恩を忘れず、今も三郎丸蒸留所は地域とともに歩んでいるといいます。
観光資源としての蒸留所の開放を進めることも、地域経済の活性化にも貢献しています。
「地元があるからこそ成り立っているビジネスであることを痛感しています。だからこそ、環境と地域の両方と向き合わなければなりません。そして地域に根ざしながらも、世界に自分たちの存在を発揮していきたい」
現在、三郎丸蒸留所には年間33000人が訪れています。台湾をはじめとする海外市場にも進出し、国際的なコンペティションでも金賞を受賞するなど、世界からの評価も高まっています。
「ここを拠点に、富山のクラフト文化を世界に発信したい」
その思いは、ウイスキーだけにとどまりません。蒸留所内には〈レストラン令和蔵〉がオープンし、滞在時間を伸ばす工夫も進められています。
「ウイスキーを通じて、富山の魅力を知ってもらいたい」と語る稲垣さんの目は、未来を見据えています。
三郎丸蒸留所の挑戦は、ただウイスキーを造るだけではなく、土地に根ざし、地域とともに歩むことで、より豊かな未来を築いていくことなのです。時の流れとともに進化し続けるウイスキー。その一滴が、世界の人々に届き、愛される日もそう遠くはないでしょう。
credit text:辰巳健太 photo:竹田泰子
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