富山出身であることが財産に。「好き」を貫き、ストーリーを描き続ける作家、舞台演出家・松澤くれはさん-1
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富山出身であることが財産に。「好き」を貫き、ストーリーを描き続ける作家、舞台演出家・松澤くれはさん

記事公開日:2025.01.15

富山県から広い世界へ旅立っていく若者たちに、いつでもふるさとが待っている――そんなメッセージを伝える「I’m Your Home.」プロジェクト。富山県出身で、さまざまな分野の第一線で活躍する先輩たちが、一歩踏み出そうとする若者たちへエールを送るインタビューです。

富山県富山市呉羽町出身/作家・舞台演出家
松澤くれはさんへ10の質問

  • Q1好きな寿司ネタは?

    ハマチ、カンパチ、ブリです。富山県民って、魚に対する妙なプライドみたいなものがあるんですよね。めちゃくちゃきれいに焼き魚を食べられる、みたいな。

  • Q2学生の頃の思い出は?

    中学生の頃は大好きなポケモンのゲームやカードをやりまくっていました。高校に入ってからは演劇に出合ってひたすら演劇。ずっと好きなことをやっています。

  • Q3座右の銘(好きな言葉)は?

    「執着を捨てて執念を燃やす」。僕自身のオリジナルの言葉です。

  • Q4一歩踏み出したときの気持ちは?

    踏み出したときに、果てしなく道が長いぞっていうことに気づいてゾッとしました。でも、踏み出さないとそれがわからなかったな、という気持ちになりましたね。

  • Q5何歳で県外に出た?

    19歳。

  • Q6県外で学んだことをひと言で表現すると?

    覚悟を決めないと生きていけない。

  • Q7富山との現在の関わりは?

    新刊の小説が出たタイミングで、地元の商業施設でのサイン会やトークイベントに呼んでいただきました。いつか自分の舞台公演で呼んでいただきたいですね。

  • Q8HOMEに頼ったことやHOMEがあってよかったことを教えてください。

    出身地という、富山で生まれ育った価値基準をもうひとつ持てることはすごく大きいと思います。

  • Q9挑戦したい若者へメッセージ(エール)をください。

    興味を持ったら、まずはお試しくらいの軽い気持ちでとにかく踏み出してみてください。SNSやネットの情報などに惑わされないで、自分の人生を決めるのは自分だから。

  • Q10あなたのHOMEは?

    住んでいる家です。僕は仕事も家でやっているので、窓を閉め切って完全な無音状態にして安心して集中できる環境をつくっているんです。逆に言うと、ホームでしか原稿が書けないんですよね。

好きを貫いて、仕事に。継続した先に結果はついてくる

作家・舞台演出家として活躍する松澤くれはさん。その名前が示すように、ペンネームの“くれは”は出身地である富山県富山市呉羽町に由来している。

地元には、〈富山市民芸術創造センター〉=「芸創」と呼ばれるホール施設があり、行政をあげて芸術に力を入れている印象がある。幼い頃から身近に音楽や演劇のある環境で育った松澤さんが、高校時代に演劇部に入部したことをきっかけに舞台演出の道を志したのは、とても自然なことだったよう。

「富山県には、国際的な演劇祭も開かれ“演劇の聖地”といわれている南砺市利賀村という有名な場所があるので、演劇に力を入れている風土があったと思います。毎年夏には県下の高校の演劇部が利賀村で合同合宿をやって、演劇界から有名な方々が講師として来られてワークショップをやったりしていましたね。

そうして本格的に創作をやるようになると、家の近所にもいい稽古場があるじゃん! と。芸創は結構大きな施設で、楽器演奏のスタジオや演劇の稽古場として安く借りられたんです。

高校の演劇部だけじゃなくて、学生で集まって劇団をつくったり、富山大学の演劇サークルとも交流させていただいたり、社会人劇団に出入りさせていただいたりと、そこで先輩たちから学びを得る機会になりました。演劇部の垣根を越えて、自分たちで劇場を借りて仲間内で公演をしたりもしましたね」

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演劇どっぷりの高校時代を過ごした松澤さんは、早稲田大学第一文学部演劇映像専修に合格し、上京。ますます演劇まっしぐらの道を進むことになるが、そもそも演劇に魅了されるきっかけはなんだったのだろうか?

「最初の動機は結構不純で、演劇部って目立てそうだな、くらいの感じで始めたんです。でもやってみたら、普通に高校生活を送っていたら絶対にやらないような非日常的な経験がすごくおもしろくて。ステージの上でセリフを発して誰かを演じる。しかもスポットライトを浴びながら。そこから、演じるということにのめり込んでいきましたね。

思い返せば小学校の学芸会なんかでも主役に立候補するような子どもだったので、もともと興味はあったと思うんですよね。“三つ子の魂百まで”じゃないですけど、いまよりもっと怖いもの知らずというか、ガンガン前に出るようなタイプでした。そんな経緯があったので、最初は役者志望だったんです。上京したのも俳優になりたかった、みたいなところもあって。

でも、高校の担任からは『演劇なんて潰しが効かない』『30歳になっても4畳半でカップ麺をすすってるような生活したいのか』みたいなことも言われました。でも、カップ麺すすりながらでも演劇をやれているなら、いいかな。くらいの気持ちだったので、その言葉をデメリットに感じなかったんですよね」

そうして始まった、大好きな演劇に触れながらのキャンパスライフ。加えて、家から30分も行けば国宝を見られる博物館や美術館があり、これまでテレビや漫画の中で見ていた渋谷や原宿、秋葉原のまちが現実としてそこにある。文化に触れられる機会の圧倒的な多さに感銘を受けながらも、ひとりで生き抜いていかなければならないという現実も実感したという。

「地元を出ると、もう“自分で闘わないといけない”みたいな覚悟がありましたね。誰にも頼れないというか、例えば東京出身者なら実家から大学に通えますし、卒業してもそんなに稼げなくても家がある。でもこっちは家賃も払わなきゃいけないし、昔からの知り合いもいないからコネクションもない。いろいろなことを自分で決めて、競争していかないと生きていけないんだということを学びました。

母校の早稲田には、OB・OGはもちろん、学生の頃から売れている先輩が普通にいましたし、優秀なやつ、才能のあるやつはゴロゴロいるし、天才なんて言われている同期もいて。結果を出さないと構ってもらえない、先輩に名前すら覚えてもらえない。学生時代から“もうすでに始まってる”感みたいなものがあって、結構過酷でしたね」

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在学中に劇団を立ち上げた松澤さんだが、周囲は就活真っ只中。けれど、就職するという選択肢は一切浮かばなかったそう。

「自分がやりたいことを実現するために就職先を探すことは正しいと思います。でも、就職することが目的になるのはおかしいなと思っちゃったんですよね。だから自分は演劇がやりたいのに、どこかの会社に入るっていう選択肢はなかったんです。

卒業した先輩たちを見ていても、そんなに悲惨なことにはならないだろうなという楽観も少しあって。選ばなければ働き口はあるだろうし、究極死ぬこともないだろう、と。

ただ、卒業したタイミングで就職した同級生からは『好きなことやれてていいよね』みたいな、就職しないことを見下すような視線を感じることもあって。それに対する反骨精神はすごくありましたね」

生まれ育った富山の原風景がクリエイティブの源になる

在学中から少しずつ脚本を書き始めていたという松澤さん。卒業する頃には役者活動はほとんど辞めて脚本を書くことにシフトしていたが、そこには彼なりの「打算があった」という。

「役者と脚本家、どっちのほうが食べていけるだろうと考えたときに、役者で食える可能性は競争の倍率が激しい。役者として勝負するよりも脚本を書けるほうが仕事があるんじゃないかと考えたんです。

書くといってもレベルがあると思いますが、とりあえず最初から最後まで書き上げて上演する、ということは何回かできていたので、最低限カタチにはなる。もちろん、僕よりもうまい脚本家はいっぱいいます。でも、脚本って相対的な優劣じゃないと思うんですよね。

例えば役者は、オーディションでこっちのほうがうまいとか、彼のほうが役に合っていると選別される。でも脚本なら、『この人にしか書けないものをつくってるよね』と言われるようになれば、ある種オンリーワン。そうすれば売り物になるし、この作品をプロデュースしたいと言われるまではとりあえずがんばってやってみよう、みたいな感じでしたね」

その人にしか書けないオンリーワンを模索したとき、松澤さんにとってそれは、地元富山を題材にした作品につながったという。

「“上京もの”というジャンルは世の中に結構ありますが、東京と富山を相対化して描いたり、東京の人が知らないものを持ち込んだり。方言を使うとそれだけでキャラが立つので、富山弁だけの芝居をつくってみたり。

例えば、初期に手がけた『立山三部作』のなかで、地元でくすぶっている女性を描いた作品があります。立山はとても美しくて神々しい連峰だけど、自分の人生を取り囲んでいる壁のような圧迫感があって忌々しい存在として描いたんです。ただのきれいな景色で終わらない、その表裏一体みたいな感覚って、たぶん地方から出た人間じゃないとわからないと思うんですよね。

地方出身者って、わりとそのことを隠しがちですが、むしろそれこそ財産だなと気づきました。無理に東京人ぶってもダサいだけなので、自分のルーツに忠実であろうと思ったんです。そのことに気づけたことも、地元を出てよかったことのひとつですね」

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    呉羽山展望台から望む立山連峰。©(公社)とやま観光推進機構

演出家、脚本家、そして小説家としても活躍する松澤さんだが、2023年からはテレビ東京系アニメ『ポケットモンスター』のシナリオコーディネーター・脚本も務めている。実は高校生で演劇に出合うまで、彼がとにかく熱中していたのがポケモンだ。

「小学生のときからポケモンが大好きだったんです。中学生のときはポケモンのゲームをやり込んで大会にでたり、仲間内でサークルをつくって自主イベントを開催したり。中学の3年間は、本当にポケモンばっかりやっていましたね。

そんな人間が巡り巡って、大人になって大好きな作品のシナリオを書いているなんて夢のようで、我ながら本当にすごいことだと思うんです。というか、振り返ると、これまでずっと好きなことしかやってないですね(笑)」

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自分の好きなことを貫き、信じてやり続けた結果、夢を実現できた松澤さん。だからこそ、若者たちへ声を大にして伝えたいことがあるという。

「最近はSNSやネットの情報を見れば、『稼ぐならこう生きろ』とか『勝ち組人生はこうすべき』みたいな情報がすごく溢れていると思うんです。でも、そういう声に振り回されないでほしい。もちろん身近な人や経験者の話を聞くことは大切だと思います。でも、自分の人生を決めるのは自分。ネット上のよく知らない人の言葉に惑わされないで、自分の人生を生きてほしいなって強く思います。

そして、興味を持ったらまずは軽い気持ちでいろいろやってみたらいいと思う。失敗したらどうしようなんて悩んでいても始まらない。興味に関しては間口は広く、いろいろやってみるなかで、これは意外といけるかも、もっと掘り下げたいと心奪われるものに出合えたら、そこから本気になったって遅くない。

好きなことを続けていれば、大好きなポケモンのシナリオライターにだってなれるんだよ! って、身をもって伝えたいですね」

Profile 松澤くれは-1

Profile 松澤くれは

富山県富山市呉羽町出身。早稲田大学第一文学部演劇映像専修卒業。演出家、脚本家、小説家。劇団〈火遊び〉代表。小説を原作とする作品の舞台化を手がけるほか、多数のオリジナル作品の脚本・演出を行っている。2018年、自身が脚本・演出を務めた『りさ子のガチ恋♡俳優沼』で小説家デビュー。日テレ系 新日曜ドラマ『ネメシス』のスピンオフ小説やテレビ東京系アニメ『ポケットモンスター』のシナリオコーディネーター・脚本を務めるなど、さまざまなジャンルに活動の場を広げている。

Information I’m Your Home.

「I’m Your Home.」は、富山県から広い世界へ羽ばたく若者たちに、いつでも帰ってくることができるHomeとして旅立ちを応援するプロジェクトです。

credit text:西野入智紗 photo:ただ


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