広い世界へ飛び出し、富山県のブランディングを手がけるまでに。クリエイティブ・ディレクター高木新平さん-1
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広い世界へ飛び出し、富山県のブランディングを手がけるまでに。クリエイティブ・ディレクター高木新平さん

記事公開日:2024.11.06

富山県から広い世界へ旅立っていく若者たちに、いつでもふるさとが待っている――そんなメッセージを伝える「I’m Your Home.」プロジェクト。富山県出身で、さまざまな分野の第一線で活躍する先輩たちが、一歩踏み出そうとする若者たちへエールを送るインタビューです。

富山県射水市出身/クリエイティブ・ディレクター
高木新平さんへ10の質問

  • Q1好きな寿司ネタは?

    白エビ。富山湾の宝石といわれますが、その宝石を口にしてとろける感じが本当にスペシャルだなと思います。

  • Q2学生の頃の思い出は?

    高校時代の卓球部。どうやったら卓球をかっこよくできるか、ずっと考えていて、それが卓球日本代表のユニフォームデザインの仕事につながりました。

  • Q3座右の銘(好きな言葉)は?

    自己本位。自己中心ではなく、社会に流されずに自分の価値観に基づいて生きる姿勢。夏目漱石の言葉です。

  • Q4一歩踏み出したときの気持ちは?

    大学1年の夏休みに人生で初めて飛行機に乗って、タイとフランスへひとり旅をしました。世界の多様性を全身で浴びて衝撃を受けました。

  • Q5何歳で県外に出た?

    18歳。

  • Q6県外で学んだことをひと言で表現すると?

    オリジナルがあるからこそ勝負できる。

  • Q7富山との現在の関わりは?

    富山県の成長戦略会議委員、ブランディング戦略プロジェクトチームの座長としてウェルビーイング政策やブランディング戦略に取り組んでいます。

  • Q8HOMEに頼ったことやHOMEがあってよかったことを教えてください。

    変わらずにあり続けてくれる、立山連峰に囲まれた地元の景色は想像以上に自分のよりどころになっています。

  • Q9挑戦したい若者へメッセージ(エール)をください。

    自信を持って、飛び出したらいいなと思います。

  • Q10あなたのHOMEは?

    やっぱり富山ですね。

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コンプレックスからの脱却。違いこそ価値になる

富山県射水市出身の高木新平さん。高校生まで地元で過ごし、大学進学を機に上京。コンプレックスを抱えながら過ごした富山での日々は、悶々とくすぶっていた時期もあったという。

けれど地元を離れ、成功体験をひとつひとつ重ねながら、自身で道を切り拓いてきた。現在は富山県の成長戦略会議委員、ブランディング戦略プロジェクトチームの座長という大役を担い、地元に貢献しながら、これまでの自身の経験を力に変え、「過去を回収している」という。

高木さんは射水市ではどんな幼少期を過ごしてきたのか? 学生時代の思い出をうかがうと、ゆっくりと記憶を辿るように話し始めてくれた。

「たぶん、僕の人生の最初のピークは小学校4年生の頃。目立ちたがり屋で、サッカーもしていていい感じで、学級新聞で4年3組で一番かっこいい男子に選ばれたりもしていました。でもその後、成長期が遅くて、中学に入ってからはどんどん活躍の機会を失っていった感じなんです。

実は左手に障害があって、子どもの頃は義手をしていて、夏でもずっと長袖を着ていたんです。それを理由にいじめられるということはなかったんですが、同調圧力みたいなものはあって。中学2年生くらいから事あるごとに学校を休みがちになったんです。

でも、守りのために着ていたロンTをきっかけに、当時流行っていたストリートファッションに目覚めて。“違いを価値にしてくれる”と気づくことができて、ファッションは自己の確立に大いに影響を与えたと思います。

その後、高校は地元の進学校に入りましたが、“入学おめでとうテスト”の結果がなんと280人中275位。一気にやる気を失い、ますますファッションに傾倒していきましたね」

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「高校ではクサッていた」と振り返る高木さん。謹慎処分を受けるなど、やらかし時代を過ごしたようだが、育ててくれた両親への恩を感じて改心し、大学進学を決意し、上京。みごと現役で早稲田大学に入学するも、東京では富山弁を封印し、富山出身であることも隠すほど地元にコンプレックスを抱いていたそう。けれど上京した最初の夏に、その後の人生を大きく動かす転機が訪れる。

「大学1年の夏休みに、人生で初めて飛行機に乗って、タイとフランスにひとり旅をしたんです。そこで、世界は広いなって思いましたね。東京に出たことも大きかったですが、それまでは富山の山の内側にしかいなかったので、山を越えたらこんなに広い世界があるんだって思いました。

本当にいろいろな人種、身分、バックグラウンドの人がいて、ひと口に人間といってもこれだけさまざまな人がいるんだって。1か月くらいの旅を通して、自分のなかでも世界が一気に広がりました。そこで出会った人たちは、それぞれ自分のプライドみたいなものがちゃんとあって、やっぱり自分のスタイルを貫いている人は、すげえかっこいいなと思ったんです」

富山にいた頃は、外に出ることに怯えがあったという高木さん。

「あのまま外へ出なければ、狭い世界のなかで、自分だけちょっと人と違うと感じながら、それを隠して生きていたと思う。でも、自ら環境を変えたことで自分の人生が良くなっていったこと自体が成功体験になっていったんです。別の場所へ行ってもやっていける! と。

だから、これから何かに挑戦しようかと迷っている人は、自信を持って、飛び出したらいいなと思います」

富山出身を誇りに。もっと地元をおもしろくしたい

迷いながらも、自分の価値観を信じ、チャンスを切り拓いてきたという高木さん。卒業後に入社した博報堂を1年で辞め、ネット選挙運動の解禁を目指した「One Voice Campaign」をプロデュースしたり、全国各地にシェアハウスを展開しブームを牽引。

2014年には「誰もがビジョンを実践できる世界をつくる」を掲げ、〈NEWPEACE Inc.〉を創業。未来の価値観や市場をつくる「ビジョニング」を提唱し、従来にないブランド戦略を立案、実装し、さまざまな企業や地域のブランディングに携わっている。

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    富山県のウェルビーイング政策やブランディング戦略もリードしている。

そんななか、再び転機が訪れたのはコロナ禍のことだった。コロナの最前線で闘う富山の医療従事者への「コロナ寄付基金」を発起。高校の先輩とクラウドファンディングを立ち上げ、総額1億円以上を集金したことがひとつのきっかけとなり、地元富山との関わり合いを取り戻していく。

「出身地である射水市の新湊地区に内川という港町があって、富山新港から東西に3キロほど続く運河が流れているんです。ノスタルジックな風景が広がっていて、“日本のヴェニス”なんて呼ばれていて、少しずつ注目され始めているんです。僕からしたら、子どもの頃よく遊んで怒られていた漁師町という記憶しかないので、その場所にわざわざ外から人が来ていることが新鮮でした。

僕は18歳で地元を出ているので、富山の各地にあるすばらしい宿や飲食店、夜の楽しみがあることとか全然知らなくて、富山にはこんな場所があったんだ! って僕自身再発見したんです。東京から連れてきた友人たちから、『富山めっちゃいいね。こんなすてきな地元があるの、うらやましいよ』と言ってもらえたことで、えもいわれぬ人生の肯定感があったんです。

そこから、自分は富山出身ということを誇っていいんだ、と肯定できるようになりました。もっと地元と関わっておもしろいことをしたい、それで地元が良くなるなら。それは最高の仕事だな、と」

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    “日本のヴェニス”と呼ばれている港町、内川。©(公社)とやま観光推進機構

かつての自分がそうであったように、地域の価値は、それが当たり前の暮らしをしている人だけでは気づけない、と高木さん。

「あえて僕のような人間が、外の目線も持って価値を再編集することで、ブランディングしていけるんです。これが僕なりの地元への恩返しです」

そんな高木さんの座右の銘は、「自己本位」。

「これは夏目漱石が言っている言葉なんですけど、いろいろな人の考えを受け入れるためには、自己というものがちゃんと確立していなきゃいけない、と。逆に言うと、自分が立っていれば多様な価値観というものが受け入れられるということを言っていて。自分はどこに軸足があるのかということが、すごく大事だと思うんです。

僕自身、こんな髪型をしているし、“お前なんやねん”みたいに言われることも結構あります。だからこその自己本位。その結果、人に優しくできる。すごくいい言葉だと思います」

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さまざまな経験を経て、ふるさと富山への思いを強くした高木さん。

「生まれて18年間育ててもらった富山が、やっぱり僕のホームです。富山の人だったらみんな当たり前に見ている景色だけど、変わらずにあり続ける立山連峰の景色があり、その山々に囲まれていることがすごく価値があると思うんです。

山が富むと書いて、“富山”。僕は立山連峰に囲まれた景色が大好きで、ここが自分の始まりであり、オリジナルです。オリジン=起源をちゃんと持っているからこそ、東京でも海外でも、どんな場所に行っても戦えるなって感じがするんです」

Profile 高木新平-1

Profile 高木新平

富山県射水市出身。早稲田大学卒業後、(株)博報堂に入社。2014年独立し、(株)NEWPEACEを創業。未来志向のブランディング方法論「VISIONING®」を提唱し、スタートアップを中心にこれまで数多くのブランドの非連続成長に携わる。21年より、富山県成長戦略会議委員として県成長戦略のビジョン「幸せ人口1000万~ウェルビーイング先進地域、富山~」の策定及びPR発信をリード。22年に同会議ブランディング戦略PTの座長、23年に富山県クリエイティブディレクターに就任し、現在「寿司といえば、富山」を推進中。24年より、射水市内川未来戦略会議の副座長を務める。

Information I’m Your Home.

「I’m Your Home.」は、富山県から広い世界へ羽ばたく若者たちに、いつでも帰ってくることができるHomeとして旅立ちを応援するプロジェクトです。

credit text:西野入智紗 photo:ただ


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