1200年以上続く、雪山の美しき手仕事。自然素材から生まれる〈立山かんじき〉
記事公開日:2023.12.27
材料の採集から木を組むところまで 山とともにある「かんじき」づくり
かんじきは、雪面の歩行や登山、山仕事など雪国での生活を支えてきました。その歴史は古く、富山の立山登山の玄関口、芦峅寺(あしくらじ)でつくられていた〈立山かんじき〉の起源は1200年以上も前に遡るといいます。
伝統的なこのかんじきは、昭和の中頃より初代・佐伯春吉さんが製作を始め、その後は息子である佐伯英之さんが修行を経て2代目となり、半世紀にわたって親子でつくり続けてきました。
唯一の立山かんじき職人でもあった佐伯英之さん。しかしながら2018年、高齢のため引退を決意。このままでは日本のかんじき職人がいなくなってしまう。そんなときに後を継ぎたいと名乗り出たのが、現当主であり3代目の荒井高志さんでした。
「これは、アブラチャンっていう木なんですよ。わりとベーシックな山木(やまぎ)で全国どこにでもあるけど、標高が高いところの木じゃないとやわらかくて折れやすい。ほかにもクロモジを使います」
かんじきの材料は、自らの手で採りに行きます。いずれも立山山麓周辺の標高400メートルから1000メートルのあいだに自生する植物。草木が生い茂っていると足元が見えづらく歩きにくくなるため、採集時期も紅葉のおわりから雪が降る前まで、そして雪解けから植物が芽吹く春までのあいだの年2回と限られています。
山に行くときは、熊鈴とラジオが必須。相棒の柴犬もいっしょに連れて行きます。熊とはたびたび遭遇したことがあるという荒井さん。山の良さも怖さも知っているからこそ成り立っている仕事です。
荒井さんのかんじきづくりは、山の季節とともにあります。製作期間は4月の終わりごろから7月までの3か月間と、暑さが少しずつやわらぐ9月から10月下旬まで。8月は猛暑のためストーブを使う作業はせず、早朝の時間帯のみ、かんじきの重要なパーツである「爪」をつくります。冬は出荷の縄巻きの作業と、採集した材料や春になる前の採集に向けた準備が中心です。
「まず、採ってきた木をカットして、一晩水に浸けておいたものを翌朝に釜で3時間ぐらい煮るんです。今やっているのは曲げの工程。やわらかくなった木を力いっぱい曲げていきます。全部おわったら3か月ぐらい乾燥させて、今度はかんじきの形に組んでいきます」
「ちょっと離れとってね、木がそっちに飛んでっちゃうかもしれないから」
釜から取り出した木を型に押し当て、歯を食いしばって曲げる荒井さん。その表情を見ていると、思わずこちらも力んでしまいます。1回で行う曲げの作業は本数にして120本前後。1本1本、力を入れて曲げるといった工程を繰り返す、たいへん体力の要る作業。終わる頃にはだいぶ息も上がっています。
第二の人生に選んだ、かんじき職人という生き方。立山の伝統工芸を受け継ぎ後世へ
「師匠が引退した理由は、高齢で体力的に限界を迎えて、材料を採ってくるのが『えらい』(※『たいへん』という意味の富山弁)ということで辞められた。辛くてもうダメやということで。採った材料は背負子(しょいこ)で担いで山を下りるんだけど、このへんの立山山麓は急斜面が多くて険しいから、本当にたいへんなんですよ」
かんじき職人になる前、荒井さんはタイヤ関係の会社を経営していました。体力的に厳しい仕事で腰痛にも悩まされ、いつ体を壊してしまってもおかしくないような状態。経営者という立場上、なかなか休みをとるのも難しく、仕事に追われる日々が続いていました。
そんななかでも、唯一の息抜きでもあった趣味の山遊びは、当時の大きな楽しみだったといいます。
「僕は富山の標高600メートルの小原村っていうところで生まれて、幼い頃から山が好きだったんです。会社をやっていたときは日帰りで行ける山ばかりだったけど、剣岳とか槍ヶ岳とかいろいろ行きましたよ。やっぱり楽しかったですね。それで、60歳のときに自分の会社を譲ることにしました」
還暦を迎え、社長業を引退した荒井さんが選んだ第二の人生は、かんじき職人の道でした。きっかけは、あるとき目に留まった新聞記事。そこには、荒井さんの師匠である佐伯英之さんが引退するという内容が書いてありました。
「山が好きだからって、60歳で遊ぶわけにもいかんでしょう(笑)。最初は山小屋で働こうかと思ってたんだけど、たまたまかんじき職人を引退するという人を新聞で知ったんですよ。それが師匠。だから元々知り合いだったわけではないんです」
ある知人を介して師匠の佐伯さんを紹介してもらい何度も足を運んで頼んだものの、そのたびに断られていたという荒井さん。たいへんなのに儲かる仕事ではないこと、これまで教えた人たちで続いた人は誰もいないこと。かんじき職人として生きていくのは簡単ではないという厳しい現実を、忠告されたのでした。
「絶対にすぐ辞めるって思っとったらしいです。だから僕、自分の会社を譲った話もしたんです。お金儲けのためにやるわけじゃなくて山が好きでやりたいんだっていう話をしたら、それなら教えてやると認めてくれました」
数か月という短い期間のなかでの師匠の教えは、「基本は教えるから、あとは自分で考えて工夫しながらやりなさい」というもの。そして、本気でやるからにはできるだけ協力するということで、独立後には荒井さんの自宅敷地内に作業小屋まで建ててくれたそうです。
「師匠はなんでも自分でつくるすごい人ですよ。それまで鉈でつくっていた立山かんじきの『爪』を、機械でつくることを考えました。今でもずっとつき合いがあります。野菜が採れたりしたら僕も持っていくし、師匠も普段から『どうや?』って顔を出してくれる」
かんじきという道具ならではの魅力と山遊びの楽しみを知ってほしい
「今は毎日充実してますわ。『六十の手習い』って言葉があるように、何事も、何歳から始めても遅すぎることはないですよ。僕は商売を辞めるときに、いい歳のとり方をしたいと思っていたんですよね。それに毎日遊べっていわれても、そうはいかないもんですね。かんじきをつくるという目的があるからこそ遊べるんです。体が辛いなあと思ってもお客さんには迷惑かけられないから、材料を採ってこなきゃならんなっていう意識が働くわけですよ。よく働いてよく遊ぶのが健康的でしょう。最近は夕方、家内といっしょに温泉に行くのも日課です」
春は山菜採りに夏はイワナ釣り、秋はきのこ狩り……。かんじきづくりを始めてから、夏は朝4時に起きて仕事をし、10時には山へ出かけるという荒井さん。自然に合わせた時間の過ごし方が、今ではすっかり体に染みついています。
「たとえば、天然の舞茸でつくる舞茸ごはんがどんなにうまいか。なめこでも、かさの大きいのを食べてみてほしい。あとは山菜だったらコシアブラ。天ぷらがいいっていう人が多いけど、おひたしで食べるのが最高。それから天然のわさびって、葉っぱを食べると本当にうまいんですよね」
いきいきとした表情で語る荒井さんの話を聞いていると、瑞々しい山の恵みと景色が目の前に浮かんできて、五感がうずくようでもありました。日頃から自然に親しみ、山に足を運んできた人でなければ伝えられない魅力があります。
立山かんじき工房には、荒井さんのような山好きの人が全国各地から訪れます。そのほか猟師や林業に携わる人など、仕事でかんじきを使う人も多いのだとか。雪山での移動手段はスキーを履くことが多いものの、板が長いと樹林帯で小回りが利かないという欠点も。そこで活躍するのがかんじきというわけです。
「立山かんじきや和かんじきの利点は、着脱がしやすいところ。かんじきの場合は紐を結ぶだけなんで、手袋をした状態でその場で履けるんですよ。山好きは標高が高いところに行く人が多いんですけど、雪山のマイナス10度以下の寒さのなか素手で作業するっていうのは厳しいから、その点はいいと思います。現代のスノーシューなどはナイロンテープを金具に通さなきゃいけなかったりして、厚手の手袋をしているとなかなか難しい場合がありますよね」
もうひとつ、木という素材ならではのメリットもあります。
「金属の素材と違って木の場合はたわむから、そのぶん衝撃が吸収できるんですよ。たとえば段差を飛び降りたりしても、膝や腰への衝撃を抑えてくれる。軽くてコンパクトだと抵抗も少ないから、歩きやすいんじゃないかと思います」
丈夫で履きやすく、機能美にすぐれたかんじきという道具。この地に息づく伝統的な手仕事は今、日本に残るたったひとりの職人によって受け継がれています。立山連峰を臨む工房で、荒井さんの手によってつくられる立山かんじきを履いて、雪の上に広がる景色を見てみたくなりました。
Information 立山かんじき工房
address:富山県富山市善名118-2
tel:076-483-3615
access:富山駅から車で約30分、富山地鉄不二越・上滝線「大庄駅」より徒歩約7分
営業時間:10:00~17:00
定休日:火・水・木曜(不定休)
credit text:井上春香 photo:石阪大輔
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