世界への道を切り拓いた「Oriiブルー」。折井宏司さんが歩んだ、危機から継承への道筋。-1
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世界への道を切り拓いた「Oriiブルー」。折井宏司さんが歩んだ、危機から継承への道筋。

記事公開日:2026.03.19

富山県高岡市には「高岡銅器」と呼ばれる伝統産業があり、江戸初期から鋳物をつくり続けています。

四半世紀ほど前までは、問屋が商品企画をし、原型製作、鋳造、仕上げ、着色の各工程をそれぞれの職人が担っていました。職人たちは分業体制のもと、見込生産の商品だけを黙々とつくり続けていたのです。

折井さんは夜学生時代から東京のIT企業で営業の仕事をしていました。しかし、長男で他に後継者いなく、職人になるには少しでも若いうちが良いのでは…との思いでUターンして家業に入ります。

経営状況は厳しいものでした。1998年、1999年は、最盛期の50%以下まで売り上げが落ち込み、自身は月給15万円、父は無給で働いていたといいます。仕事が激減し、「自分の代で会社を潰してしまうかも…」と思い詰めるほどでした。

企画から製造、販路の開拓までを自社で一貫して行う、現在へと続くものづくりの始まりです。

危機から始まった挑戦者。革新の火を灯す。

「着色」と聞くと、多くの人は塗装をイメージするかもしれません。しかし高岡銅器の着色はそれとは異なり、薬品や食品、炎を使い、化学反応を起こして金属の表面にあえて腐食や錆を生じさせ、自然に現れる色や風合いを引き出します。

代表的な伝統着色方法に「鉄漿(おはぐろ)」「糠焼(ぬかやき)」「煮色(にいろ)」。これらの技法は、長い歴史の中で職人たちが工夫を重ねて生み出し、受け継いできました。

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    「鉄漿(おはぐろ)」は、酢と鉄を合わせた液体を金属に塗って加熱し、稲藁をくくった「ねごぼうき」で擦って艶を出す技法。

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    「糠焼(ぬかやき)」は、金属に糠みそを置いて炎で熱し、糠の燃え跡を模様にする技法。

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    「煮色(にいろ)」は、薬品に金属を浸けて煮込み、アンモニア液にかざして色を出す技法。

折井さんは大学卒業後、東京のIT企業で営業の仕事をしていました。しかし「技術を途絶えさせるわけにはいかない」と考え、Uターンして家業に入ります。

経営状況は厳しいものでした。1998・1999年は特に売上が落ち込み、自身は月給15万円、父は無給で働いていたといいます。仕事が激減し「自分の代で会社を潰してしまうかも…」と思い詰めるほどでした。

そんななか折井さんは、伝統工芸の保存や技術継承に取り組む『高岡市デザイン・工芸センター』に通うようになります。会社では着色のことは教えてくれても、その前段階について詳しく知る人が社内にいなかったからです。

そこで折井さんは、素材の特性や原型づくり、多様な鋳造方法、仕上げなど、職人が受け継いできた銅器産業全体に関わる知識や技を一から勉強しました。この学びの時間が、自社で一貫生産を実現するための足がかりとなっていきます。

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    会社の代表として経営を担いながら、自ら現場に立ち、ものづくりにも向き合う。

伝統の先に生まれた表情。薄い板に宿した「Oriiブルー」

危機的な状況のなか、折井さんは生き残りをかけて、基礎から学んだ高岡銅器の知識と技術を武器に、挑戦をスタート。それが、薄い金属板への着色でした。

「伝統の着色技術を活かした薄い金属板なら、より幅広い用途に展開できるのではないかと考えた」と言います。

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    厚さが1㎜以下の金属板。

鋳物は厚みが5㎜以上あるため従来の着色法が適していますが、薄い金属板は同じやり方では上手くいきません。何度も失敗を繰り返し、2000年ごろには伝統技法を応用・発展させて、1㎜以下の金属板への着色に成功しました。

その後、リビングやインテリア向けに特化した自社商品を開発。当時は販路がなかったため、友人や知人を頼り、雑貨店や花屋に商品を置いてもらうところから販売を始めました。

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    時計や花器、テーブルウェア、照明など、暮らしを彩るアイテムも人気。

あるとき、販路を拡大する中で、関係者からの「インテリア用の着色板を建材にしてみたら?」というアドバイスが大きな転機に。ホテルの壁面用の板を作ったことが追い風となり、少しずつ仕事が増えていきました。現在の仕事のうち、約5割をホテルやレストラン、商業施設の建材が占めています。

2008年、販売を本格的に強化する決意を込めて、社名を『モメンタムファクトリー・Orii』へ変更、代表取締役に就任。

このころにはようやく従来の売り上げにはもどり、さらに新たなものづくりと市場開拓に本腰を入れることになります。

「2011年ごろまでは、会社がジリ貧になるのを実感していた」と振り返る折井さん。どんなに新しいことに挑戦しても売上がない状態を見て、祖父や父の代から長年仕事を続けてきた高岡銅器の着色だけを行ってきた職人の中には、新たな分野に移行してくことに対して折井さんに反発し、退職する人もいました。「高岡銅器は横のつながりが強いので、職人が辞めると話がすぐに広がりましたが、気にしている暇などありません。職人がいなくなった分は自分がやればいい。何があっても前に進む」。そう心に強い誓いを立てました。
 

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    同じ場所に納入する建材も、明るさの濃淡や細かな表情がすべて違う。

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    富山県民会館美術館入り口の壁面装飾にも使われている。(折井さん提供)

ブランドを象徴する美しい色があります。独自の技術によって初めて生み出された「斑紋ガス青銅色」。通称「Oriiブルー」と呼ばれています。

高岡銅器には、アンモニアを使って緑青(ろくしょう)を発生させる伝統的な着色技法がありますが、折井さんは薬品の配合を工夫し、さらに炎の温度も細かく調整しながらこの色を完成させました。

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    銅や真鍮を独自の技法で着色することで生まれる「斑紋ガス青銅色」。通称「Oriiブルー」。

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    硫酸銅などの化学薬品、塩や酢などの食品を組み合わせて、いくつもの独自着色を生み出し、多彩な製品開発にもつながった。

日本の色と技術を、自らの手で世界へ広げる。

販路拡大を目指し、2009年からは「東京インターナショナル・ギフト・ショー」やJAPAN SHOP・建築建材展に毎年『モメンタムファクト
リー・Orii』として出展しています。さらに2011年には、ニューヨーク・マンハッタンで開かれた展示会に初参加しました。

「海外に出展したからといって、すぐに結果が出るわけではありませんが、積み重ねが力になる」と折井さん。海外での挑戦を続けることで、国内で応援してくれる企業が増えたり、海外出展の様子をSNSに投稿することで注目度が高まり、翌年から注文が増えたりする効果もあると言います。

アメリカだけでなく、フランスやシンガポール、台湾、オーストラリアなど、さまざまな国や地域の展示会にも継続的に参加。出展を重ねるごとに「去年も来ていたね」「他社とのコラボ商品を見たよ」などと声をかけられるようになりました。さらに数年後、「そういえば、日本に面白い技術を持つ会社があったな」と思い出して連絡をくれるケースも増えてきたそうです。

展示会は、折井さん自身にとっても、世界中の建築家やデザイナーと出会い、刺激を受ける大切な場。そこでの会話をものづくりのヒントにしています。

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    年2回、パリで開かれる「Maison&Objet」に出展したときのブースの一角。(折井さん提供)

意欲的な発信を重ねるなかで、国内外での認知が広がり、さまざまなブランドや産地から「コラボ商品をつくりたい」と声が届くようになります。

2024年には『モメンタムファクトリー・Orii』が着色した『FUMIKODA』のアクセサリーが、日米首脳会談でジル・バイデン大統領夫人へ贈られ、日本のものづくりの魅力を伝える役目を務めました。

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    バングルとピアス、ネックレスが、ジル・バイデン大統領夫人に贈られた。(折井さん提供)

数年前からは、着色した金属の表情をテキスタイルに再現した生地を使い、洋服や着物づくりにも取り組み始めました。アパレル業界が厳しいことは承知のうえで、金属の魅力や可能性を伝える営業ツールとしての役割も期待しています。

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    (折井さん提供)

400年の伝統技術を、次世代へ渡す覚悟。

独自技術の価値を高める一方で、「自分が高岡銅器伝統着色を知る最後の世代になりつつある。古い技をつなぐことが使命だと感じている」と話します。

現在『モメンタムファクトリー・Orii』の仕事の9割以上は、独自着色技法によるもの。そのため、若い職人が伝統着色を身につける機会はほとんどありません。高岡では鋳物関連の工場が廃業すると、その会社が長年培ってきた技術そのものが失われてしまうという現実もあります。

こうした状況を少しでも食い止めようと、折井さんは伝統着色を言語化したマニュアルを作成しました。素材の見極め方、炭の置き方、温度変化の判断方法などを、文字や図、写真を使って細かく記録しています。「もともと職人の世界では、先輩の仕事を見て、実践と失敗を重ねながら体で覚えるのが当たり前。理屈はすべて書き尽くしてあるので、見れば工程を身につけられる」と語ります。

実践例は、建築家とコラボして開発したドアノブにする予定で、古い技で新しいプロダクトにつなげる商品も、もうすぐ販売がスタートします。

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    自身が作成したマニュアル元に説明する折井さん。

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    左側は成功、右側は失敗例。タイミングや判断を誤ると、伝統着色本来の美しい表情にはならない。

「30年ほど前から衰退し始めた高岡銅器の世界は、2000年代に入り当時30代だった私たちの世代から少しずつ変わり始めました。それまで分かれていた問屋と職人の垣根を越え、互いに協力し合う動きが生まれ、高岡伝統産業青年会の活動でも、新しいものづくりについて語り合い、挑戦するようになった」と話します。

折井さん自身も、これまで担ってきたデザインや高度な技術を要する着色の仕事を、次の世代へ託そうと動き始めました。

『モメンタムファクトリー・Orii』には、今、関東や関西、北海道など全国各地から若者が集まり働いています。400年以上続く伝統の世界を、若い世代が憧れ、挑戦したいと思える場所へと変えてきた中心にいるのが、折井さんです。

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Profile 折井宏司(おりいこうじ)

1970年、富山県高岡市出身。1996年に家業の「折井着色所」に入り、翌年には代表取締役に就任。2008年に社名を「有限会社モメンタムファクトリー・Orii」へ変更し、代表取締役に就任。高岡銅器仕上部門 伝統工芸士。

credit text:高井友紀子 photo:京角真裕


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