- posted 2026.03.23
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富山は標高3,000m級の立山連峰から水深約1,000mの富山湾までの高低差4,000mを誇るダイナミックな地形が特徴です。この高低差は、山や海に豊かな恵みをもたらしてきました。特に富山湾は、日本海に生息する約800種類の魚介のうち、約500種類がすむ好漁場です。
豊かな富山湾を舞台に、新たな一歩を踏み出したのが、今回紹介する網谷辰海さん。
アナウンサーとして地元テレビ局に勤務していましたが、2025年に10年間働いた会社を辞めて、漁師へ転身。現在は、漁師として海に出ながら、フリーアナウンサーとしても活動する「二刀流」の働き方をしています。
「人生の大半は仕事をする時間。自分にしかできない前例のない道を選ぶことで、生き方を自分次第で変えられると思った」と、決意や思いを話してくれました。
迷いを力に変え、一歩を踏み出す決意。
網谷さんは漁師の家に生まれ、父と兄も現役の漁師です。
父の獲ったおいしい魚が、いつも食卓に並んでいました。それでも、幼いころから「漁師にはならなくていい。自分の好きな道へ進みなさい」と言われて育ったと話します。
過酷な仕事をさせたくないという親心だったのでしょう。網谷さん自身も大学まで出してもらった以上、家業に入るのは親不孝だと思っていました。
大学卒業後はUターン就職で、憧れだった地元局のアナウンサーに。目標としていたスポーツ実況や情報番組のMCも担当します。
しかし自ら志願した報道で「事件・事故の現場取材や記者の仕事にも携わるようになり、悲しみや怒りに触れることに前向きになれない自分に気づいた」と言います。また報道のメインキャスターを目指すことで、情熱を注いできたスポーツ実況から外れることになるため、自分の中に矛盾を感じるように。
「100%の力で会社に貢献できているのかという迷いが芽生え始めた」と、網谷さんは当時を振り返ります。
さらに、「これは本当に自分にしかできない仕事だろうか。本当に好きなものでないと結果を出せない」と自問自答するようになり、心から魅力的だと思える存在を探し始めます。
自分に問い続けた末に浮かんだのは、幼いころから身近にあった海、父と兄が獲った魚、そして海で働く二人の存在でした。
漁師として生きる道を漠然と描き始めたころ、能登半島地震が発生。地震の影響で海の中の地形が変わり、白えびの記録的な不漁が続きます。
そんな状況下でも、毎日のように父と兄は漁に出ていました。「自分を育ててくれた富山の漁業が成り立たなくなるかもしれない。そうなったら絶対に後悔する。体力面を考えても、漁師になるなら今しかない」と、一歩を踏み出す決意をします。
漁師×アナウンサー。誰も歩んでいない「二刀流」への挑戦。
網谷さんは放送局に勤めていたころ、漁港の取材にはほとんど行っていません。漁師の息子でありながら現場を知らないことにコンプレックスを抱き、漁場や地元がある岩瀬に深く踏み込むことを意識的に避けていました。
しかし、この気持ちも挑戦への原動力に変わっていくことに。これまでのキャリアを生かしながら、富山の魚の魅力を漁業者の立場で伝えるアナウンサーになろうと決心します。
連日テレビで、投手と打者の両方がトップレベルの大谷翔平選手の活躍を報じていたことから、その活躍に触発されたという網谷さん。「漁師とアナウンサーの二刀流にすることで、誰にも真似できない存在になれるかもしれない。まだ誰も歩んでいない道を行くことで、より楽しい人生が送れると確信した」と言います。
父に相談したら反対されると思い、兄に話した上で、従兄弟でもある船の親方に直談判。昔気質な父は、親方の言葉に従いました。
全国的にも他業種に飛び込むアナウンサーが増えており、一歩を踏み出した人たちの活躍も背中を押してくれました。
漁師になってからは、生活リズムが一変しました。
取材をした2月は、午後9時半に漁港に集合し10時に出漁。網谷さんの乗る「繁栄丸」は、4月から11月末までは白えび、12月から3月末はずわいがにや甘えびを中心に漁をしています。
富山湾は海底が急に深くなっているため、漁港から船で20分ほどの場所が漁場。海に網を入れて水揚げを3回ほど繰り返し、朝4時半ごろまでに岩瀬漁港へと戻ります。水揚げや仕分け、競りの準備を終えて帰宅するのは午前6時ごろです。
華やかなアナウンサーとは対照的に、漁師は体力勝負の世界。「本当に自分の選んだ道は正しかったのか。なぜ、これほど辛い仕事を選んだのかと思う日もあった」と振り返ります。
8月の暑さも重なって疲れた顔を見せていると、父から「体力がなさすぎる。お前はサラリーマンとして働いてた方がよかったんじゃないか?」と言われました。
この言葉で、覚悟の甘さに気づくことになります。「自分で選んだ道。船の上で、絶対に弱さは見せない」。そう決めると、鬱屈した気持ちは消えていきました。
一度きりの人生。ワークライフバランスは自分が決める。
現在は漁に出るかたわら、アナウンサーとしての活動の幅を広げています。
Bリーグ富山グラウジーズのホームゲーム実況やイベントのMCを担当することが増えてきました。目の前の熱量を肌で感じながら、会話を楽しむように仕事ができることに、フリーならではのやりがいを感じていると言います。
さらに一児の父になったことで、仕事への思いにも変化が生まれました。子ども向けイベントの機会を増やし、放送局時代は断らざるを得なかった母校の講演にも行きたいと考えています。
フリーになったことで、自分が前向きなエネルギーを届けられる場所へ、柔軟に関われるようになりました。
もちろん、不安がないわけではありません。両立は、何より自分の体が元気に動いてこそ成り立つもの。だからこそ、どちらかが中途半端になるのではないかという葛藤は常にあると言います。
そんなときは立ち止まり、「自分は何のためにこの道を選んだのか?」と自らに問い直し、そしてその答えが、歩みを支えています。
「二足のわらじは、続けてこそ意味があります。それぞれ経験や知識が増えていくことで、いつの日か相乗効果や化学反応が生まれると思う。その瞬間を信じて、まずは無理矢理でも続けることが必要」と、網谷さん。漁師もアナウンサー業も100%の力で向き合うと決意しました。
「一度きりの人生、安定よりも先が見えないワクワクする方へ」と意欲を燃やす網谷さん。
漁師を軸に、自分にしかできないこと、富山でしかできない働き方を真剣に続けていくことで、キャリアに悩む人の一歩を後押しする存在になりたいと考えるようになりました。そして息子にも、「好きなことを全うする父の背中を見せたい」と語ります。
働き過ぎを心配されることもありますが、ワークライフバランスのあり方は、どんな人生を過ごしたいかで一人ひとり違います。自然相手で収入にも波がある漁師の仕事を間近で見て育ったからこそ「家族を守る立場として、アナウンサーの仕事が一つの支えになる」と言い、前を向きます。
富山の漁業の広告塔を目指して。
「ほかの漁師にはできない形で富山に貢献したい。そして、いつか地元・岩瀬に還元していきたい。富山の漁業の広告塔になることができて初めて、漁師になった意味を見い出せるし、周りの人たちに『船に乗せてよかった』と感じてもらえると思う」。
網谷さんの二刀流の挑戦は、始まったばかりです。
Profile 網谷辰海(あみたにたつみ)
1992年、富山県富山市生まれ。青山学院大学卒業後、2015年に北日本放送入社。テレビ・ラジオのアナウンサーとして、ニュース、スポーツ実況、報道番組など幅広く担当。2025年に漁師に転身。フリーアナウンサーとしても活躍中。
credit text:高井友紀子 photo:京角真裕
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