- posted 2026.03.24
発酵文化が息づく南砺市福光。発酵料理研究家・中川裕子さんが守り継ぐ、風土の食と穏やかな空気。
記事公開日:2026.03.24
- posted 2026.03.24
富山県の南西部にある南砺市福光(ふくみつ)は、発酵食文化が生活のなかに根づいている地域です。近年、「菌活」や「腸活」などが広まるずっと前から、発酵食や保存食が日常に欠かせないものでした。
福光の中心部で生まれ育ち、郷土料理に親しんできた中川裕子さんは、発酵料理研究家として地元の味を伝える活動をしています。中川さんが経営する飲食店『gonma』では、発酵料理やクラフトビール、ワインなどを提供。彼女に会うことを目的に、著名な料理研究家やレストランのシェフも数多く訪れる人気店です。
発酵食文化を入り口に、福光の風土が育てた空気そのものまで未来に残そうとする姿が印象的でした。
発酵食とともに育ち、料理の楽しさを知る。
中川さんの実家は理容室。幼いころ、両親はいつも店でお客さんの髪を切り、忙しく働く毎日でした。家に帰っても側に大人の姿はなく、放課後は茶道やお花、ピアノなど、自宅から半径100mほどの範囲内にあるさまざまな習いごとへ出かける日々を過ごしていました。
当時、理容室の賄いづくりを担っていたのは曽祖母です。ところが中川さんが10歳ごろから曽祖母に認知症の症状が表れ、料理の味が少しずつ変わりはじめました。「調味料を入れたかどうか、塩と砂糖を間違えていないか。そばで見張りながら手元の作業を手伝っていた」と振り返ります。
やがて賄いをつくる役目は、自然と中川さんへ引き継がれました。「郷土料理教室に通ったり、近所の人に教わったりしながら、つくれる料理をひとつずつ増やしていき、『かぶら寿司』も当時からつくっていた」と話します。
忙しい店の奥で重ねていたこの時間が、今の中川さんの原点となりました。
日常的に台所に立つ暮らしのなかで、中川さんは10代のころから食や料理への関心を高めていきました。
中学生になるとバスに乗って金沢まで出かけ、当時、夢中になっていたスパイスを買い集めるようになります。また、高校生になると福光にあったフランス料理店でアルバイトを始め、シェフやマダムからハーブの使い方を学びました。
「スパゲッティが食べたいと思っても、フランチャイズの店もイタリアンもない。だから自分でつくるしかなかった」と笑いながら話す中川さん。このころからのスパイスとの長い付き合いも、今の味の土台になりました。
地元の人は『gonma』を訪れると、普段から食べ慣れている郷土の発酵料理ではなく、中川さんがスパイスを調合して手づくりするカレーを注文します。南砺市井波にあるベーカリーでは「gonmaのカレーパン」として、中川さんのカレーを使ったパンも売られています。
郷土の食文化を支える「麹」の存在。
中川さんの料理を語る上で、欠かせない場所があります。
自宅から歩いて50mほどのところにある『石黒種麹店』。店名にある「種麹」とは麹をつくる素になる麹菌のことで、「種麹」を製造している場所は全国で10軒ほどしかありません。
『石黒種麹店』店主の石黒八郎さんは中川さんの父と幼なじみで、「私も含めて、毎日のように会って話している」と言います。石黒さんは昨今の発酵ブームが訪れる前から麹の力に注目し、自ら食品研究所に依頼して菌の研究をするほど、強い探究心を持って仕事に向き合ってきました。
そのため石黒さんとの日々の何気ない会話のなかに、麹や発酵、菌についての知識がたくさん盛り込まれていました。いわば、石黒さんはマンツーマンで発酵の世界を教えてくれた先生のような存在です。身近に本物の種麹屋があったという環境が、中川さんの料理に大きな影響を及ぼしました。
中川さんは味噌を毎年100kgほど仕込んでいますが、この作業も石黒さんの麹を使い、釜も借りて行います。近所には、石黒さんの麹を買って味噌や甘酒をつくっている人が大勢います。
『gonma』をオープンしたきっかけは、中川さんが手がけていたケータリング料理の評判が、口コミで広がっていったことでした。
県外から訪れるお客さんも多く、福光の郷土料理が体験できる貴重な場所にもなっています。土地に根づいた飾らない味、季節ならではの料理を求めて、名の知れた料理研究家やシェフが食事や取材目的に店を訪れることもあります。
最近では、南砺市が主催する「発酵体験ツアー」の目的地にもなりました。『石黒種麹店』の麹を使った塩麹や麹ドレッシングのレシピを教えたり、発酵食品をふんだんに使ったランチを提供したりと、行政と連携しながら体験と食を通して地域の魅力を発信しています。
これまでに海外の多くの国でも、福光の発酵食を紹介してきた中川さん。
海外へ行くとき、中川さんが日本から持参するのは完成した料理ではなく麹そのもの。現地に着いてから、甘酒を仕込みます。保温瓶さえあれば2〜3日で出来上がるので、それを材料にして抹茶ティラミスをつくったこともありました。さらに味噌を持って行けば、その土地の食材を使って豚汁をつくって振る舞うこともできます。
「特にフランス全土やニューヨークは、発酵食への関心が高くて好評だった」と中川さん。麹を携え、世界のキッチンで福光の味を育てる柔軟な姿勢が、国境を越えて発酵の魅力を伝えているのです。
「よすまの人の文化」とともに、受け継いでいく味。
幼いころに毎日のように近所で習いごとをして過ごしていたこともあり、中川さんは顔なじみの大人が多く、地域の人たちに見守られながら育ちました。
福光のまちには、昔から「よすまの人の文化」と呼ばれる、地域の人同士がゆるやかに助け合う風土が息づいています。戦時中、この地に疎開していた版画家の棟方志功(※昭和20年〜26年に福光で制作を行った)も、その文化に支えられた一人でした。米や大根を分けてもらいながら暮らし、そのお礼に多くの作品を福光に残しています。
今は、中川さんが「よすまの人の文化」を体現する存在になりました。あのころ、見守ってくれた大人たちが年を重ねて高齢者となり、なかにはひとりで暮らす人もいます。
「ひとり暮らしで料理をしなくなったおじいちゃん、おばあちゃんに、『たくさんつくったから』と、おかずを届ける。道でばったり会えばコーヒーをごちそうになったり、立ち話をしたり。それが日常。醤油や卵を借りに行くことも、今でも普通にある。見返りを求めずに、自然と助け合いたいと思っている人ばかり」と中川さん。
さりげない交流と接点の積み重ねが、この土地に住む人と人の距離を温めています。中川さんの心に息づいた「よすまの人の文化」の延長線上に、発酵をはじめとする福光の食文化を守り伝える今の姿があるのかもしれません。
そして、近年、高齢化などを理由に暖簾を下ろす店から、レシピを受け継ぐ活動もしています。親戚でもある寿司屋の店主からは酢飯を教わり、近くにあったとんかつ屋の常連さんに協力してもらい、トンテキの味の再現にも試行錯誤しながら取り組んでいます。
「寿司は握れなくても、酢飯の味さえ分かっていれば、みんなが食べたくなったときにつくってあげられる。店が閉まると伝統の味も絶たれるのは、あまりにも悲しい」と話します。
発酵料理は手間と時間がかかります。すぐに完成しない料理に向き合う福光の人を、中川さんは「待つことのできる人」と表現。穏やかな気質が、時間をかけて育てる発酵の文化と、自然に結びついているのかもしれません。
毎年つくるかぶら寿司も、気候に合わせて塩分を調整したり漬ける時間を変えたりするため、年によって味が変わります。味噌づくりも、温暖化の影響でかつてのように寒い時期に仕込むのが難しくなりました。
それでも中川さんは、移ろう環境の中で味を見極めながら、発酵の知恵を守り続けています。
Profile 中川裕子(なかがわゆうこ)
1973年、富山県南砺市(旧福光町)生まれ。発酵料理研究家。「かぶら寿司」のように地域で有名な発酵食だけでなく、福光の人が普段の生活で食べている日常の料理、食の知恵、地域に息づく文化も一緒に継承している。理容師免許、表千家師範の資格も持つ。
credit text:高井友紀子 photo:京角真裕
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