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“日本一小さな”自動車メーカー〈ミツオカ〉 手仕事で大切に仕上げるカスタムカー

記事公開日:2024.08.23

はじまりは馬小屋の一角。「これなら自分たちで直せそうだ」

『エヴァンゲリオン』との“1台限定”コラボで話題となったスーパーカー「オロチ」や、ひとり乗りのゼロハンカー「BUBU 501」、クラシックな英国車風フォルムで30年以上のロングセラーとなっている「ビュート」などをリリースしている〈ミツオカ〉こと光岡自動車。

独創性あふれる発想力と奇抜なデザインで、世界中の自動車メーカーと比べても一際異彩を放っています。年産約1000台という日本一小さな規模ながら、“聖地巡礼”とばかりに富山市の生産工場を訪れる熱狂的なファンが後を絶ちません。

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    右は、ロングノーズのクラシカルな高級車「ヒミコ」。今年は限定10台で、即完売。

日野自動車で営業マンをしていた光岡進氏が、1968年に富山市内の馬小屋を間借りして板金塗装業を始めました。あるとき、イタリア製のひとり乗り自動車の修理依頼があり、分解してみたところ「これなら簡単につくることができそうだ」と、自動車づくりに興味を持ち「ミツオカオリジナルの車をつくろう」と一念発起。

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    〈トミカ〉で再現された歴代の名車たち。

初の自社オリジナルカーとなった「BUBUシャトル50」は、なんとひとり乗りのマイクロカー。当時は原付免許で乗ることができたため、瞬く間に大ヒットしました。その後ロサンゼルスでは、既存のシャーシをベースに、自分でボディを組み立て色を塗る“キットカー”の文化を目の当たりに。1987年には、“ルパン三世の愛車”として知る人も多いメルセデス・ベンツのSSKのレプリカ「BUBU クラシックSSK」を、フォルクスワーゲンのビートルをベースに製作することに成功しました。

ミツオカの車づくりは、市販のベース車を生かして改造を施す “カスタムカー”という手法で、その1台1台が手作業。200台限定で製造されたこの車が、現在のミツオカの原点となったのです。

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    “自動車メーカー”として認可されるためにつくられた〈ゼロワンタイプF〉

“型式認証”を取得し、ホンダ以来、日本で10番目の自動車メーカーに

その後もポルシェ356のレプリカ「BUBU356 スピードスター」や、アメリカンスタイルの「ドゥーラ」、日産 シルビアをベースにした「ラ・セード」など、市販車を改造したクラシックタイプの車を次々と誕生させていきます。1996年には国の「型式認証」を取得。これは1967年のホンダ以来32年ぶりの快挙で、日本国内で10番目の自動車メーカーとして正式に認められたのです。

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    多くの結婚式場で活躍する「ドゥーラ」。

その頃、のちにミツオカの歴史を大きく変えることになる若者が会社の門を叩きます。東京のデザイン専門学校に通っていた青木孝憲さんは、自動車業界一本に絞り、就職活動を続けていました。しかし、大手メーカーの試験では最終プレゼンまで残るものの、ことごとく不合格。夢をあきらめて地元に帰ろうと考えていたある日、たまたまめくったカー雑誌の裏表紙にミツオカの広告を見つけたといいます。

「聞いたことのないメーカーだし、本社を見ると富山と書いてある。富山ってどこだろう? と思いながらも(笑)、“おもしろそうだな”という直感を信じて、社員募集はしていなかったのですがすぐに電話をしました」

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    「オロチ」「ロックスター」など、数々の名車を生み出したデザイナーの青木孝憲さん。

自身のポートフォリオを送るとすぐに連絡があり、1週間後には初めての富山へ。面接で向かいの席に座っていたのは創業者であり、当時の社長だった光岡進氏。少年時代からの絵にかける思いや、ほかのどのメーカーを受けてどう感じたか、将来的にはどんな車をつくりたいか、という本音をすべてぶつけました。

話を聞き終えた社長は、「すぐに来い」とその場で“合格通知”を出し、青木さんのカーデザイナーとしての人生がスタートしました。ミツオカの懐の深さや“ほかとは違う”哲学を感じます。

入社3年目、立ち上げまもない現在の東京ショールームでひとり乗りのマイクロカーに乗って営業に走り回っていた頃、先輩から「ミツオカが東京モーターショーに出展するらしい」という噂を耳にします。

全国のカーマニアを唸らせた“和テイスト”のスーパーカー

「新車種を出展するなら、なぜ真っ先に自分に声をかけてくれないのか? 腹が立って、絵を描きまくって本社に送りつけました。けれど当時の光岡進社長の反応は、『ほかのメーカーでもつくれそうな、つまらないものを出すな!』と。たしかに社長の言うとおり、どの案もどこにでもありそうな“メジャー”なスーパーカーでした。そこから『自分にしかできない唯一無二のスーパーカーとは何だ』と自問自答を重ねて、最後に出てきた案がオロチでした」

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    手作りのスーパーカーオロチ。

大好きなロックの反骨精神や蛇の妖艶な存在感を昇華させたオリジナリティあふれるデザインは、なんと役員会議で満場一致で採用されたのです。

2001年の東京モーターショーに出展したオロチのブースには常に人だかりができ、予想を超える反響を呼びました。1050万円(当時)という価格設定ながら、数十名の購入希望が集まり、商品化が決定。『スポーツカー・オブザイヤー』にも選出されました。

その後に発売した、『エヴァンゲリオン』のメカニックデザイナー、山下いくと氏によるデザインをボディ全面に施した「エヴァンゲリオン オロチ」も大きな話題を呼びました。セブン-イレブンの史上最高価格となる1600万円で限定1台が発売され、およそ600倍の応募を集めるまでに。

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    社内にさりげなく飾られた青木さんのスケッチ。

その名を知られることになった青木さんは、その後もヒミコ、ロックスター、バディなど、多くのヒット作を生み出し続けます。実は光岡自動車は、車の生産だけでなく、〈BUBU〉という名称でインポートカーのディーラー事業を全国に展開しています。その土台があるからこそ、メーカーとしてはチャレンジできる姿勢をもつことができるようです。

「後発のメーカーとして生まれたからには、一般常識や多数派という価値観の“真逆”を行かなくてはなりません。それがミツオカらしさにつながっています。僕自身もまさにその考えで、自分の信じてきたものを表現してきた結果、多くの人に受け入れられたのだと思います」

独創的で“人と違う”ものでも多くの人に影響を与えることができるものづくりは、ミツオカの特徴かもしれません。

「当時、会場に見にきていた小学生が大人になってミツオカに入社してきたり、ほかの大手メーカーにも『モーターショーで見たオロチに衝撃を受けてこの業界に入りました』と言ってくれる人がいたり。誰かの人生に影響を与える仕事ができたことは、とても誇らしいことですね」

霊柩車さえも華やかに 斬新な発想をかたちにするたしかな手仕事

年間生産約1000台。ほかの国内メーカーに比べて最も生産数は少ないものの、1台1台にかける思いは強く、すべての工程が自社工場で職人の手作業によって行われています。現場を覗くと、そこは工場というよりも、ひとりひとりがじっくりと作品に向き合う“アトリエ”といった印象を受けます。

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    職人たちの丁寧な手仕事によって、時間をかけて1台が完成する。

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乗用車以外にも、オリジナルの霊柩車も一定の売上を誇り、こちらはほぼ大工仕事。

「霊柩車をつくるということに対してもすごくポジティブに捉えていて、大切な仕事だと思っています。その人の人生の最期を華やかに送り出したい。故人やご家族の気持ちを思い、悲しみではなく、あえて華やかな“おみおくり”を表現しています」

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    国内自動車メーカーとしては唯一、霊柩車を製造。

トヨタやホンダ、マツダなど、大手自動車メーカーも、実はローカルが発祥だったり、ローカルに拠点を持っています。ミツオカもまた、富山のクラフトマンシップあふれるものづくり精神を大切にして全国に発信しています。

「富山はYKKや三協立山アルミなどの世界的なメーカーも多く、昔から工業が根付いているまち。部品の仕入れもしやすく、ものづくりには向いている環境なんです。関東にも関西にもすぐに行ける立地もすごくメリットがあって、納車や資材の調達もスムーズ。真面目で勤勉な県民性も、いい車をつくるには欠かせない要素です」

さらに重要なのが周辺の自然環境だともいいます。気持ちよく働く環境も大切な要素です。

「個人的には関東から富山に来て27年になりますが、富山の自然は素晴らしい。晴れた日に会社から見る立山連峰は本当に神々しくて、お金を出しても買えないほどの付加価値をいつも楽しんでいます」

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    生産工場の窓からは、立山連峰が一望できる。

2年前に「MITSUOKA grand store」(ミツオカ グランドストア)という旗艦店がオープンし、富山県内での活動の幅を広げています。1階には「MITSUOKA富山ショールーム」「フィアット/アバルト富山」に加えて、ティールーム「actea」(アクティー)があり、ティーブレイクしながら車を眺めることができます。普通のカフェとしても利用できるので、車を買うという目的や動機ではなくても、気軽に訪れることができそう。

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    グランドピアノが置かれた1階の展示スペース。

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    1階のティールーム〈actea〉。バディランチはメイン(この日は豚バラ肉のBBQ)に副菜やスープがつく。(1200円)

2階は歴代の車や現行ラインナップの展示スペースでありながら多目的に利用できるホールになっていて、なんとライブ演奏が行われることもあるとか。ミツオカファン、自動車ファンが集まるコミュニティスポットとして賑いを生み出しています。

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    特別な緊張感が漂う出荷前の最終チェック。

今年で創業56年を迎え、次なる目標は100周年。ハイブリッドカーや電気自動車が台頭し、自動車業界にも時代の移り変わりがあります。ミツオカにもこれまでとは違う車が生まれてくるかもしれません。それでもきっと、変わらない芯があるはずです。

「世間は、次はどんなことやってくれるんだろうという期待感を持ってくれています。僕自身がミツオカのファンとして、その期待感を的確に表現し、そのときの時代感を捉えながら、お客様に喜んでもらえる車を提供していきたいと思います」

創業者、光岡進氏から直接意思を受け継いだ最後の世代である青木さん。現在は後継者の育成を含め、ミツオカの新時代を築くために日々チャレンジを続けています。次に、富山から世界を驚かす車が生まれる日はいつか。大いに期待が膨らみます。

Information MITSUOKA grand store(ミツオカ グランドストア)

address:富山県富山市婦中町下轡田270-1
営業時間:10:00~19:00(acteaは18:00まで)
定休日:火曜、第2・3水曜

credit text:辰巳健太 photo:利波由紀子


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