魚津の造船所を第2の拠点に。地元とつながりながら第一線で活躍する建築家・浜田晶則さん-1
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魚津の造船所を第2の拠点に。地元とつながりながら第一線で活躍する建築家・浜田晶則さん

記事公開日:2024.11.28

富山県から広い世界へ旅立っていく若者たちに、いつでもふるさとが待っている――そんなメッセージを伝える「I’m Your Home.」プロジェクト。富山県出身で、さまざまな分野の第一線で活躍する先輩たちが、一歩踏み出そうとする若者たちへエールを送るインタビューです。

富山県魚津市出身/建築家
浜田晶則さんへ10の質問

  • Q1好きな寿司ネタは?

    カワハギの肝乗せが大好きです。ブリも好きなので、絶対に食べますね。

  • Q2学生の頃の思い出は?

    小学生の頃は『スタンド・バイ・ミー』や『ぼくらの七日間戦争』といった映画に影響されて、木の上に秘密基地をつくったりして遊んでいました。

  • Q3座右の銘(好きな言葉)は?

    「さあ横になって食べよう」。バーナード・ルドルフスキーという、建築家であり人類学者の方が書いた本のタイトルです。

  • Q4一歩踏み出したときの気持ちは?

    基本的には楽観主義者なので、バンジージャンプを飛んだときのように勢いで進んだ気持ちでした。

  • Q5何歳で県外に出た?

    18歳。

  • Q6県外で学んだことをひと言で表現すると?

    文化の多様性。

  • Q7富山との現在の関わりは?

    年に1~2件は富山県に関わるプロジェクトを手がけています。事務所が魚津にもあり、月に2回くらいは実際に足を運んでいます。

  • Q8HOMEに頼ったことやHOMEがあってよかったことを教えてください。

    祖父が遺した造船所を、大阪・関西万博で使用する外壁パネルの製作現場として使わせてもらえていること。

  • Q9挑戦したい若者へメッセージ(エール)をください。

    失敗を恐れずに。でもなかには裏切ったりだましたりする人もいるので、もし違和感を察知したら、自分の直感を信じて行動しましょう。

  • Q10あなたのHOMEは?

    実家の造船所の浜辺。

縁がつながり、自然と富山と東京を往復する日々に

富山県魚津市出身の浜田晶則さん。商業施設や個人邸などの建築を手がけつつ、クリエイティブ集団〈チームラボ〉の建築部門〈チームラボアーキテクツ〉のメンバーとしても注目を集める建築家だ。そんな浜田さんの原風景となっているのが、祖父が営んでいた造船所からの眺めだという。

「魚津の海は波も荒いのですが、造船所を出てすぐの場所にある海岸には砂浜があって。ちょうど湾になっているところなので海と山の両方が見えるし、人がいなくて海もきれいなので、たまに泳いだりしていました。そこから見える夕焼けがすごくきれいなので、よく黄昏れていましたね」

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    造船所に面した浜辺からの夕景。(写真提供:AHA)

小学生時代は木の上に秘密基地をつくったり、早起きをして友だちと釣りに出かけたりと、わんぱく少年だった浜田さん。

また、富山県の「まちのかおプロジェクト」の一環でつくられた、魚津市の桃山運動公園にある世界的建築家ダニエル・リベスキンドによるモニュメントも思い出の場所。

「そこの展望台から富山湾が見えるんです。そこでも友だちとよく遊んでいました」

中学からは音楽に目覚め、ブラスバンド部に所属しつつ、バンドを結成して高校生バンドとして音楽フェスやコンテストの県大会に進出するなど、充実した日々を過ごしていたそう。

高校を卒業し、大学進学をきっかけに上京。そのときは不安はなかったのだろうか。

「音楽や文化が好きだったこともあって、東京に行くことしか考えていなかったですね。基本的には楽観主義者なので、不安はあまりなかったです。周りの人からは“富山の男は地元に戻ってくることが多い”と聞いていましたが、自分が戻るかどうかは当時考えていませんでした」

東京に出てきてよかったと感じたのは、多様な文化に触れられたこと。

「東京で出会った友人は、僕が全然知らないようなことを知っていて、文化的な知識量や経験がまったく違うなと思いました。いまはインターネットがあるからまた違うかもしれませんが、東京では文化に触れられる機会が圧倒的に増えました。海外の留学生も多くいましたし、多様な文化を学べたと思います」

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大学院卒業後に東京で建築デザイン事務所を立ち上げ、最初のプロジェクトとして取り組んだのが富山県の惣菜カフェだ。

「大学院を卒業するかしないかというときに同級生から話をもらって。特に就職活動もしていなかったので『じゃあ、それが終わったら何か考えようかな』と引き受けました。その頃からですね、富山と東京を行ったり来たりする生活が始まったのは」

何かしら富山県と関わりたいと漠然と思っていたところ、その後も知り合いなどから声がかかり、少しずつ富山県とのつながりが生まれていき、現在では富山に関する仕事を毎年1~2件ほど手がけている状態に。

「2014年に建築設計事務所を立ち上げ、その翌年には富山支社をつくりました。富山で営業活動をしているわけでもないのにお話をいただけるのは、富山県出身だということを公言しているからかもしれないですね」

計画的ではなかったものの、富山県との関わりを持ちたいという思いを持ち続けたことが、現在の状況につながっているのかもしれない。

そんな彼が富山県で手がけたプロジェクトのひとつが、550年の歴史を持つ南砺市の城端別院善徳寺の敷地内にある複合施設〈善徳寺 杜人舎(もりとしゃ)〉。“泊まれる民藝館”をコンセプトに、ホテルやカフェ、テレワークスペースも備えた複合施設だ。

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    善徳寺は、民藝運動の父といわれる柳宗悦が滞在して『美の法門』を記した場所。柳の愛弟子である安川慶一が設計した研修道場を浜田さんが改修設計し、ホテルやカフェ、ショップなどの複合施設に。(写真提供:田中広告写真)

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    宿泊者には地元の伝統的な発酵保存食を主とした朝食が提供され、館内にはさまざまな民藝品も展示されるなど、富山の食や文化が感じられる場所となっている。(写真提供:田中広告写真)

「お話をいただいていから約4年とかなり長期的に関わらせていただいたので、思い入れもありますね。善徳寺は民藝の聖地のような場所で、民藝に関心のある方を中心に多くの方に訪れていただいています。こういった富山の文化や食が注目されてきているのを感じますね」

そんな浜田さんは、まさにいまも地元の魚津市で、とある大きなプロジェクトを進行させている最中だという。

富山をより良い社会にするために

現在、浜田さんが魚津市で進行させているのは、2025年4月に開幕する大阪・関西万博の会場に設置されるトイレ・休憩施設の壁に使用する、富山県や兵庫県淡路島、広島県で採取した土を材料とした外壁パネルの製作。土と、わらや自然素材の硬化剤などを混ぜ合わせて、大型の3Dプリンターを用いて出力するのだが、その作業所として祖父が遺した造船所が活躍しているのだ。

「最初はほかの場所で探したりもしていたんですけど、場所代だけでものすごい金額になってしまって。祖父の造船所を借りられたことは、まさに“HOMEがあってよかったこと”ですね」

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    元造船所を作業場に。(写真提供:AHA)

富山のスタッフは3名おり、現地採用した人もいる。来春、万博のプロジェクトが落ち着いてからも、その場所を活用して研究や制作を続けていきたいと考えている。地元に戻るかどうかは深く考えていなかった浜田さんだが、東京と魚津を行き来する、現在のようなワークスタイルもいいなと感じているそうだ。

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    常に複数のプロジェクトを並行して進めている浜田さんは、スタッフとのコミュニケーションも欠かさない。

また魚津では、地元の造園会社と協働し〈NAPs〉というグループで、〈魚津総合公園 みらパーク〉のにぎわい創出事業も手がけている。魚津総合公園は遊園地〈ミラージュランド〉と100年以上の歴史を誇る〈魚津水族館〉を合わせた公園で、2019年よりNAPsがパートナー事業者となり、浜田さんはデザイン監修やイベントの企画などを行っている。

「徐々にいいかたちになってきていると思います。夢としては、魚津水族館をいつか建て替えることがあれば、何かしら関われたらいいなって。実は水族館って、お客さんが見ているところはほんの一部で、裏側は水を循環させるパイプだらけで、工場のようなんですよ。比較的、人工的な環境ではあると思うのですが、そのなかで何か新しいことに挑戦できないかなと考えたりしますね」

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柔らかながらも一切のブレを感じさせない浜田さんの話しぶりには、自身のヴィジョンを体現することと、富山県をより良い場所にすることの両方を同時に実現させるために、常日頃からさまざまなことを考えているのがうかがえた。

そんな浜田さんの座右の銘は「さあ横になって食べよう」。この不思議なフレーズは、建築家であり人類学者でもあるバーナード・ルドルフスキーの本のタイトルから。

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    バーナード・ルドルフスキー著『さあ横になって食べよう 忘れられた生活様式』。

「現代では西洋の慣習やマナーに則って、座って行儀よく食事をするのが正しいとされていますよね。でも文化人類学的にひもといていくと、昔の貴族は寝ながらごはんを食べていたり、風呂に入りながらごはんを食べたりしていたんです。規律や現代の常識をちょっと疑って、動物的な感性で考えることが大事なんじゃないかと僕は思うんです」

最後に「浜田さんにとってのHOMEは?」と、あらためて質問してみた。

「やっぱりまだ実家もあるし、造船所もあることを考えると、魚津のエリアはホームっていう感じがしますよね。仕事柄、いろいろな土地に行きますけど、そういう風に感じるところはやっぱりないです。そういう意味では“帰ってきた感”があるし、その感覚が安定や安心につながっているのかなと思います」

人と自然と機械が共生する社会の構築をめざしているという浜田さん。富山県の豊かな自然、浜田さんが手がけた建築、そして地域の人たちが共生する社会が生まれる日も、そう遠くないかもしれない。

Profile 浜田晶則-1

Profile 浜田晶則

富山県魚津市出身。2012年、東京大学大学院修士課程修了。2014年に〈AHA 浜田晶則建築設計事務所〉設立。同年より〈teamLab Architects〉パートナーを務める。コンピュテーショナルデザインを用いた設計手法により建築とデジタルアートの設計を行い、人と自然と機械が共生する社会構築をめざす。主な作品として「綾瀬の基板工場」(2017)、「torinosu」(2020)など。現在は、大阪・関西万博のトイレ施設などのプロジェクトが進行中。

Information I’m Your Home.

「I’m Your Home.」は、富山県から広い世界へ羽ばたく若者たちに、いつでも帰ってくることができるHomeとして旅立ちを応援するプロジェクトです。

credit text:林みき photo:ただ


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