「富山でしかできない寿司」を求めて。「鮨しゅんじ」の橋場夫妻が新湊で描く、新しい宿のかたち。
記事公開日:2026.07.31
富山湾を望む港町・新湊の内川エリア。“日本のベニス”とも呼ばれ、運河沿いや路地裏のレトロな街並みが近年、注目を集めています。
内川沿いを歩けば、水面を渡る風の音とともに、どこか懐かしい漁師町の風景が広がります。そんな同エリアに、新たな観光スポットが誕生しました。
東京・元麻布の予約困難店として知られる寿司店「鮨しゅんじ」の橋場俊治さん、彩子さん夫妻がオープンした鮨オーベルジュです。
富山湾で獲れた極上の海の幸をふんだんに使った寿司を味わい、サウナで身体を整え、一夜を過ごす。そんな滞在型の食体験を提案するラグジュアリーなオーベルジュとして、オープン直後から大きな注目を集めています。
寿司職人として、東京をはじめ、世界でも確かな評価を築いてきた橋場さんは、なぜ富山を選び、この地でどんな未来を描こうとしているのでしょうか。
東京の離島・神津島で海に囲まれ、釣りに熱中する少年時代
夫の俊治さんは伊豆諸島の神津島出身。海に囲まれた環境で、幼少期から祖父に釣りを、祖母に魚の捌き方を教わったそうで、まさに魚の英才教育を受けて育ったようなものだと少年時代を振り返ります。
「子どもの頃は釣りに熱中しすぎて、朝学校に行く前に釣りをして、学校から帰って来てからも日が暮れるまで釣りに行くような毎日でした。炎天下の中、それを数日続けたら、免疫力が低下したのか、ついにダウンしてしまったほどです(笑)」
小学4年生の頃、釣りが大好きな俊治少年に両親が誕生日プレゼントに贈ってくれたのは、なんと出刃包丁だったと言うから筋金入りです。
自ら「好きなことにはとことん没入するタイプ」と言うように、釣りに夢中になりすぎて、時に家族からはうんざりされることも。
「夜7時くらいまで粘って、意気揚々と釣れた魚を家に持ち帰ったのですが、すでに夕食の支度も台所の片付けも終わったのに、そこから魚を捌き始めるので、嫌な顔をされたこともありましたね。せっかく釣って来たのにひどいでしょう?(笑)」
“釣り漬け”の少年時代を経て、中学卒業後は、親戚が住む長野県の高校へ進学し、今度は剣道に熱中することに。高校卒業後は、東京に出て服部栄養専門学校に入学。そこでも持ち前の集中力を発揮し、首席で卒業します。
「釣りも剣道も料理もそうですが、好きなことには、とことん没入しちゃうんです。それから僕は、根っからの負けず嫌い。テストでも絶対に負けたくない、一番になりたいという気持ちが強いんです。大根のかつらむきのテストがあったときは、練習のために仲間と60本くらい大根を買い集めたら、近所のスーパーから大根が消えました(笑)。それで一日中練習に明け暮れていましたね」
一方、妻の彩子さんは、富山県のご出身。富山市水橋の地元を出て、関西の大学に進学。卒業後は、東京のIT企業で働いていましたが、目の前の人を幸せにする仕事をしたいと、趣味で取得していたワインエキスパートの資格を活かし、ソムリエに転身。やがて夫の俊治さんと出会い、二人三脚で「鮨しゅんじ」を切り盛りしてきました。
名店「鮨 かねさか」で身につけた、寿司職人としての所作と美学
あらゆる選択肢の中で、俊治さんが寿司職人になったきっかけは、「日本人だからこそ、自国の料理ができないと格好悪い」と思ったことだと言います。そこで、まずは日本料理を極めるべく、和食の道へ。
そして、東京・銀座で長年、ミシュランガイド東京の2つ星を獲得し続ける名店「鮨 かねさか」でアルバイトを始めたことが、寿司職人としての原点となりました。
実際に俊治さんが寿司を握る姿は、手の動きが美しく、様式美があって、神々しささえ感じられます。その源流は銀座での修業時代にありました。銀座では、学生ながらあらゆる一流のものを見る機会があったと言います。
「銀座という場所柄、お店には歌舞伎役者などの芸能界のお客様も多く、華やかで、こんな世界があるんだ…!と、驚きましたね。実際に能や歌舞伎の舞台を観に行って、指の動きや所作を研究しました。小指ファーストで動かすと手の動きがきれいに見えると教わり、セロテープや輪ゴムを矯正ベルトにして練習を繰り返しました」
妻の彩子さんも、夫の俊治さんが寿司を握るときに見せる、神がかった雰囲気について話します。
「俊治さんは、カウンターに立つとスイッチが入り、数分間瞬きをしないほどの凄まじい集中力を見せるんです」
俊治さん自身は、「切れ味のいい包丁を扱っていますので、お客さんの目の前で手でも切ったら大変じゃないですか」と笑います。失敗したときを想像することで緊張感を保ち、一つひとつの動きを丁寧に仕上げることを心がけているのだそう。これも持ち前の集中力のなせる技なのでしょう。
当時、「鮨 かねさか」の二番手にいたのが、後にミシュランガイド東京で10年連続3つ星を獲得することになる「鮨さいとう」の齋藤孝司さん。そこで齋藤さんと出会い、後に同店の一番弟子となりました。
そこで6年間腕を磨いた後、2020年、二番手として腕を振るっていた個室カウンターを改装し、「鮨しゅんじ」として独立。2023年に東京・元麻布へ移転オープン。思わず目を見張る、まるで儀式のような美しい所作で握られる、上質な寿司に魅了される人が続出。おふたりの気さくな人柄とホスピタリティも相まってたちまち評判となり、予約困難店と言われるようになりました。
“奇跡の海”富山湾のそばで、「富山でしかできない寿司」を叶えるために
橋場夫妻の躍進は続きます。独立後、成功を収めてから間もない今年2026年5月、かねてから俊治さんが思い描いていた新たな夢を実現するフェイズがやって来ました。
「都市部の寿司店では、すしネタを熟成(エージング)するのが主流ですが、僕としては、朝獲れの新鮮な魚の価値にこだわり、漁港の近くで寿司を提供したいと思っていました。そのロケーションとして、富山はまさに理想です。全国のあらゆる漁港に行きましたが、富山湾は世界的に珍しい地形から、シロエビやホタルイカをはじめとする多様な魚種が揃う『奇跡の海』。富山でしかできない寿司をやりたいと考えるようになりました」
極上の寿司と朝食、サウナを楽しめる高級鮨オーベルジュ「橋場」は、庄川の河口部と富山湾に面したロケーションに立地します。彩子さんいわく、「Googleのストリートビューを見ながら海岸沿いをドライブして出会った」のが、この土地だったと言います。
海を望むバスルーム付きの格式高く、洗練された部屋に滞在しながら、目の前の富山湾で獲れたばかりの魚介を駆使した寿司のフルコースを堪能できるとあって、評判は上々。オープン直後から予約でいっぱいになりました。
俊治さんが富山を好きになったきっけは、最初は彩子さんの存在が大きかったと言います。彩子さん自身も、地元・富山が大好きで、高校を卒業してから実家を出た後も、月に1度は帰るほど地元愛が強いのだそうです。
すでに富山には何度も訪れている俊治さんは、すっかり地元に打ち解けていると明かします。
「ありがたいことに、富山の漁師さんや農家の方からかわいがっていただいています。漁師さんからは、地元ならではの魚の締め方などの独自の技術を教わったり、地元の料理人の方と一緒に山菜採りに行ったり。富山の方々の温かい人柄や文化に深く触れるひとときを楽しんでいます」
今後は東京と富山の2拠点で活動する予定で、徐々に富山に比重を移行していきたいとのこと。俊治さんは、高岡や砺波の伝統工芸やものづくりにも高い関心を寄せています。
「富山の方々にお世話になるばかりでなく、恩返しとして新湊エリアを盛り上げるため、このオーベルジュを通じて、内川の街歩きや高岡の伝統工芸などと連携した体験プランも提案していきたいです」
またこの夏開催された、米サンフランシスコ近郊のオーベルジュとのコラボイベントでは、富山の「朝獲れ」の概念や、その土地の個性を活かした新しい寿司文化を海外へ発信したとのこと。
古くから漁師町として栄えてきた新湊。その土地に息づく風土や営みを受け継ぎながら生まれた「橋場」は、街に流れる時間そのものを味わうための宿です。
6月までのトライアル営業を経て、現在はさらなる準備のため9月末まで休館中。営業再開は2026年10月に予定されています。
東京と富山を拠点に活動しながら、地域の魅力を世界へと発信する橋場夫妻。その挑戦は、新湊という街に新たな価値をもたらすことでしょう。この場所でこれから紡がれていくストーリーに、静かに期待が高まっています。
Profile 橋場俊治(はしばしゅんじ)
1986年、東京都・神津島生まれ。2015年、10年連続ミシュランガイド3つ星店の「鮨さいとう」にて二番手を任され、腕を振るう。2020年「鮨さいとう」初の暖簾分けとして、「鮨しゅんじ」を開業。「2026 アジアベスト50レストラン」51~100リストの63位に選出。※写真左は妻で「鮨しゅんじ」「橋場」の女将兼ソムリエの彩子さん。
credit text:近藤モモエ photo:京角真裕
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