【うみとやま】"風の盆"の町で生まれた越中八尾和紙-1

はっとするよ、とやま
"風の盆"の町で生まれた越中八尾和紙

富山を代表する祭り「おわら風の盆」で知られる八尾町では室町時代から和紙作りが盛んでした。戦後、柳宗悦(やなぎ むねよし)らによる民藝運動と共に越中八尾和紙として独自に進化。今もさまざまな形で町を彩っています。

伝統と美が息づく越中八尾和紙

ぬくもりを感じる絵柄と風合いで愛され続ける。

八尾町では古くから和紙が作られ、かつでは薬を包む紙として富山の売薬文化も支えました。明治にかけての最盛期には各家庭で紙漉きがなされましたが、工業化が進み、やがて衰退します。そんななか、和紙の普及に尽力したのが「桂樹舎(けいじゅしゃ)」を創業した故・吉田桂介さんです。
柳宗悦らによる、民衆の日々の暮らしに宿る美を残そうとする民藝運動が盛んな時期、吉田さんは、重要無形文化財「型絵染」の保持者で人間国宝の芹沢銈介(せりざわ けいすけ)と出会い、型染用の和紙の依頼を受け、型染めにも耐えうる丈夫な和紙を開発。これを機に、現在のような多彩なデザインの越中八尾和紙が誕生したのです。

厚手で丈夫な越中八尾和紙はバッグやクッションカバーなどのインテリア雑貨にも用いられています。和紙本来の優しい手触りはそのままに、また、使い込むほどに味わい深く、多くの人々を魅了しています。
「桂樹舎」のみならず、町のあちらこちらに、越中八尾和紙の型染めの技法を活かしたデザインを見つけることができます。越中八尾和紙と八尾の町、そして民藝を愛した吉田桂介さんの美意識を感じる街歩きを楽しんでみませんか。

桂樹舎

和紙を作り、愛で、学べるスポット

今も越中八尾和紙を作る唯一の工房。現在19名の職人が在籍し、創業者の吉田桂介さんが残した約300の型を活かした和紙づくりに励む。昭和の中頃に建てられた小学校の分校を移築した「和紙文庫」では、世界各地の様々な時代の経典や紙でできた民藝品、紙のルーツを探る資料など約2000点の吉田さんのコレクションを展示。紙漉きは火曜〜金曜であれば体験も可能(要予約)。ショップでは人間国宝・芹沢銈介のデザインによる人気のカレンダー(数量限定)のほか、小箱やバッグなど多彩な小物を販売。


越中八尾和紙は、八尾町で冬の農閑期に紙漉きが行われたことがはじまり。それらは当時、唐傘に貼られるものとして、2000枚で一丸(ひとまる)という単位で問屋に出荷。今では町に問屋は存在しないけれど、往時は数十軒もあったそう。現在もほとんど手作業で作られており、一週間で仕上がるのは500~600枚ほどだということからも、一枚がとても貴重な紙だと改めて実感。

町に愛される越中八尾和紙みっけ

山元食道
店主の山元武良さんは吉田桂介さんの人柄と越中八尾和紙にほれ込んだ一人。1階の壁には柿渋を塗った無地の和紙を、2階の特別室には吉田さんがとりわけ好んだという絵柄の和紙を壁紙に採用している。


店主の山本武良さんは、建築業界でも活躍する方。『山元食道』の店作りももちろんご本人によるもので、日本古来のものを取り入れたいと、和紙や漆、漆喰などを空間に最大限に活かしているそう。赤と藍の越中八尾和紙に漆をかけて、静と動の対比を表現した1階は、懐かしさとモダンな雰囲気が同居した独特の空間に。山本さんから、「桂樹舎」初代の吉田桂介さんへの思い入れや、八尾町ならではの民藝文化や関連したおすすめスポットについてお話も聞けて、旅がいっそう充実しそう。

専能寺
漆や金箔、彩色を施した内陣が伝統文化を重んじる八尾町の気風を伝える。西本願寺の寺紋である下り藤と専能寺の紋を配した天井絵は、吉田桂介さんの型染めによる越中八尾和紙。

型染めの技は、こんなところにもありました

吉田桂介さんは八尾町の様々なお店を訪ねては、越中八尾和紙ならではの型染めの技を活かし、暖簾や商品パッケージのデザインを提案したり、依頼を受けたりしていたとか。「杉山和紙民芸品店」は吉田さんの手による暖簾を掲げ、「桂樹舎」の商品も販売している。名菓「おわら玉天」で知られる「林盛堂(りんせいどう)」では吉田さんが包装紙を手がけたお菓子「あまんだら」も人気。


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