『富山県[立山博物館]』で、立山信仰の女性救済儀式「布橋灌頂会」の世界に触れる-1

『富山県[立山博物館]』で、立山信仰の女性救済儀式「布橋灌頂会」の世界に触れる

「立山信仰」は、自然への畏敬と死後の救済の考えが結びついた日本を代表する山岳信仰のひとつです。立山は地獄と極楽の両方を併せ持った霊山とされ、修行や登拝によって罪が清められ、死後に極楽往生できると信じられてきました。女性の救済のために始まった「布橋灌頂会 (ぬのばしかんじょうえ) 」は、立山登拝の代わりに行われる重要な儀式として今日まで伝えられています。

展示や体験スポットが広域に分散する『富山県[立山博物館]』

『富山県[立山博物館]』は、かつて立山信仰の拠点だった立山町芦峅寺(あしくらじ)にあります。総面積13haに、さまざまな展示施設が点在する分散型の博物館です。展示館では、明治40年に剱岳山頂で発見された国の重要文化財「銅錫杖頭(どうしゃくじょうとう)附(つけたり) 鉄剣(てっけん)」をはじめ、うば尊像や立山曼荼羅など、立山信仰を理解するうえで欠かせない貴重な資料を紹介しています。「布橋灌頂会」を含む立山の信仰や歴史、世界観を総合的に学べます。

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立山信仰の世界を感じる「立山登拝道」を行く-1

立山信仰の世界を感じる「立山登拝道」を行く

富士山や白山とともに日本三霊山に数えられる立山は、約1,300年前から信仰の対象であったと伝えられています。江戸時代以降は、加賀藩の政策によって立山町岩峅寺(いわくらじ)と芦峅寺(あしくらじ)が登拝の拠点となりました。宿坊があった芦峅寺には、江戸中期にひと夏で6,000人もが訪れたという記録が残っています。かつての「立山登拝道(とはいどう)」を巡り、立山信仰の世界、立山の自然を身近に感じましょう。

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立山信仰の特徴のひとつ「布橋灌頂会」

 立山は地獄と極楽の両方をあわせ持つ霊山とされ、禅定登拝を行うことで罪が清められ、死後に極楽浄土へ往生できると信じられてきました。江戸時代になると衆徒たちは「立山曼荼羅」を用いて立山信仰を伝え、全国へと広めていきます。その結果、修験者や多くの参拝者が立山を訪れるようになりました。一方で、当時の立山は女人禁制。そのため、女性救済の儀式として始められたのが「布橋灌頂会」です。


立山登拝の拠点・芦峅寺が舞台

 立山信仰では、女性は死後に地獄へ堕ちると説かれていました。立山は女人禁制で、女性は山に登ることができません。そのため本来は立山登拝によって得られるとされた極楽往生の願いも、女性には叶えられなかったのです。こうした状況のなか、江戸時代初期に始まったのが「布橋灌頂会」です。立山登拝の拠点である芦峅寺には、この世とあの世の境界とされる姥谷川が流れています。そこに架けられた通称「布橋」を舞台に法会を行うことで、女性も救われると考えられました。

次回の「布橋灌頂会」は、2026年9月27日開催決定

「布橋灌頂会」は、江戸時代末期を最後に行われなくなりました。背景には、明治政府が出した神仏分離令があります。儀式で重要な役割を担っていた「うば堂」が本尊とともに取り壊され、法会を続けることができなくなったのです。しかし、およそ130年後の1996年、国民文化祭をきっかけに復活しました。2011年以降は3年おきに、9月20日ごろ(秋の彼岸の中日)に行われています。次回は、2026年9月27日に開催されることが決まっています。

あの世の主と考えられた閻魔王が鎮座する『閻魔堂』

 閻魔堂の中央には、鎌倉時代に作られたとされる木造の閻魔王坐像が安置されています。閻魔王は、地獄やあの世の支配者と考えられ、死者の生前の罪を裁き、死後の行き先を決める存在と信じられてきました。「布橋灌頂会」では、引導師がお経を唱えている間、参加者は自分の心を見つめ、罪を懺悔します。その後、戒文を唱えて仏性(仏の心)を目覚めさせ、さらにお経を唱えながら儀式を進めます。

『布橋』が「この世」と「あの世」の境界と考えられていた

 閻魔堂から少し下った場所にある姥谷川に架かる橋は、かつて「天の浮橋」と呼ばれていました。この橋には、仏教に由来する数字が取り入れられていました。橋の敷板は人の煩悩の数と同じ108枚、擬宝珠は6つあり、橋そのものが信仰の意味を持っていました。そして、この橋を渡ることで女性も救われると考えられていました。「布橋灌頂会」の布橋渡りで橋の上に白い布が敷かれたことから、ここが「布橋」と呼ばれるようになりました。儀式では、女性たちが白い布の上を歩き、閻魔堂側の「この世」から、『うば堂』のある「あの世」へと向かいます。

現在の「布橋灌頂会」の最終地点は『遥望館』

 かつて『うば堂』は『閻魔堂』とともに、芦峅寺にあった中宮寺の中心となるお堂でした。堂内には、うば尊が本尊として3体、さらに両脇に脇立(わきだち)として66体が祀られていたそうです。しかし明治初期の廃仏毀釈により『うば堂』は取り壊しとなり、その後再建されることはありませんでした。現在は、跡地とされる場所に「うば堂基壇」だけが残っています。そのため、現在の「布橋灌頂会」の最終地点は『うば堂』ではなく、立山の自然や立山曼荼羅の世界を映像で紹介する『遥望館』となっています。

立山禅定登山の拠点、かつての宿坊だった『教算坊』

 芦峅寺にはかつて33の宿坊があり『教算坊』もそのひとつです。江戸時代後期に建設され、多くの参詣者で賑わっていました。明治以降は民家として用いられ、昭和初期から後期までは『立山黒部貫光株式会社』の創業者である佐伯宗義氏の邸宅になりました。間取りは3列6室で、間口8間(約14m)、奥行き6間(約11m)の規模を持ちます。西側が接待の間、中央が集客施設、東側が客間となっています。また建物の前には美しい庭園が広がり「とやまの名勝」にも選ばれています。

『まんだら遊苑』で、立山曼荼羅の世界を五感で体験

 立山曼荼羅の世界観を、目で見るだけでなく、音や光、香り、造形などを通して五感で体験できる施設が『まんだら遊苑(ゆうえん)』です。立山曼荼羅に描かれた精神世界を、現代芸術の手法で抽象的に表現した展示が、屋内外に広がっています。苑内は、地獄の世界を表す「地界(ちかい)」、立山登拝の道のりを体感する「陽の道(ひのみち)」、極楽浄土をイメージした「天界(てんかい)」、天界から現実世界へ戻る「闇の道(やみのみち)」の、4つのエリアで構成されています。


  交通アクセス  
■ 最寄り駅から
・富山地方鉄道立山線「千垣(ちがき)駅」下車、徒歩約2km(約30分)
 立山町営バス「千垣駅前」で乗車、「雄山(おやま)神社前」下車すぐ

■ 自家用車・タクシーを利用の場合
・富山駅から約45分
・富山地方鉄道「立山駅」から約15分
・北陸自動車道「富山IC」から約35分、「立山IC」から約30分

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「まんだら遊苑」で立山地獄と極楽を体験してきた!-1

「まんだら遊苑」で立山地獄と極楽を体験してきた!

立山に、地獄と極楽を体験できる場所がある…と、県内外で噂の的となっているのが、テーマパークのような美術館のような野外施設「まんだら遊苑」です。今回は、実際の様子をお伝えします!

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映画『無名の橋』のロケ地スポット


地元で愛され続ける人気店『ファミリーレストラン よしろく』

『ファミリーレストラン よしろく』は、立山駅方面へ向かう主要道沿いで40年以上営業を続けています。定食や麺類、丼、カレーなどメニューを幅広く揃え、子どもからお年寄りまで多世代に親しまれています。「とんかつ」は、分厚く柔らかな肉を、薄い衣に包んでサックリと揚げたボリューム満点のメニュー。「もつ煮」は豚の小腸だけを使い、時間をかけて丁寧に仕込んであります。「布橋灌頂会」をモチーフに描かれた、坂本欣弘監督の映画『無名の橋』のロケ地にもなり、この2つの料理は映画内でも使われました。 


立山駅前で温泉を楽しむ『グリーンビュー立山』

 映画『無名の橋』ロケ地にもなった『グリーンビュー立山』は、富山地方鉄道の立山駅から徒歩約3分の場所にある温泉宿です。大浴場の大きなガラスの向こうに立山山麓の自然が広がります。「美肌の湯」と名高い泉質はpH値が8.8と高く、トロリとして柔らかな肌触り。湯上がり後は、肌がしっとりとして滑らかになるため、お湯を気に入って通い詰める人が大勢います。洗い場が畳敷になっているのも、心を癒す要素です。

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