「食える」伝統工芸を目指す!日本唯一「越中福岡の菅笠」作家の熱き叫び

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菅笠(すげがさ)を頭にかぶり田畑で作業する姿は、かつて富山県内の農家で見られた日常的な光景だ。日よけや雨よけなどに用いられる菅笠は、9割が高岡市福岡町産とされており、2017年に「越中福岡の菅笠」として国の伝統的工芸品に指定された。その工芸品の社会的地位を少しでも高め、文化を継承発展しようと奮闘する日本唯一の菅笠作家から熱き思いを聞いた。
 

菅笠職人がランボルギーニを乗り回す時代に

「菅笠職人が(高級車の)ランボルギーニを乗り回す。そんな時代にしたいですね!」
野太い声。ぱっちり見開いた眼。坊主頭にヒゲのがっしりとした姿は、まるで鍛錬中の格闘家のよう。日本で唯一の「越中福岡の菅笠」作家として活動する中山煌雲(なかやまこううん)さんを見た第一印象だ。ド派手な夢をはきはきと語る表情からは、並々ならぬ気迫を感じる。
 

2017年に国の伝統的工芸品に指定された越中福岡の菅笠。中山さんは妻の安藤有希子さんと設立した会社「高岡民芸株式会社」で、材料となるスゲの栽培から収穫、そして菅笠の製作販売までを一貫して夫婦で手掛けている。美しさをこだわりぬいた作品は「煌雲KO-WN(こううん)」というブランド名で販売している。
 

中山さんの作品はファッショナブルで芸術性が高く、実用品として販売している品とは一線を画している。作品を照明器具に応用したものもあり、作品の何点かは富山県内の飲食店に採用され、店舗内のお洒落な雰囲気作りに一役買っている。
 

Column

越中福岡の菅笠とは-1

越中福岡の菅笠とは

高岡市福岡町周辺では質の良いスゲが取れることから菅笠作りが盛んで、約400年前の1620年頃、加賀前田家5代当主前田綱紀の保護と奨励を受けたのを境に発展したとされている。菅笠は高岡市福岡町を中心に隣接する砺波市や小矢部市、南砺市で作られ、良質で軽いと定評があり、全国各地に納品されている。

「パリコレ」にも採用 異業種との連携図る

菅笠を実用品から工芸品へ。付加価値を高めようと、中山さんは様々な業種と連携する。過去には「高岡民芸」のホームページを見た有名ファッションブランドからの声掛けで、作品の一部が格式あるファッションショーの一つ「パリコレクション」に採用された。また、ドール作家の人形作品にかぶせる菅笠を製作するなど、デザイナーやクリエイターからの引き合いが多い。
現在は2024年4月にイタリアで開かれる国際家具見本市の「ミラノサローネ」に出品予定で、協力企業との打ち合わせに余念がない。
「菅笠の価値を高めるために、色々な分野と協業し、面白くPRしています。この活動で菅笠文化の変革、イノベーションを起こしていきたい」と力を込める。

「自分を突き動かすのは好奇心」紆余曲折ののち作家へ

では、なぜ菅笠作家として活動する決心に至ったのであろうか。
「自分を突き動かすのは好奇心、ですね!」
中山さんは一言こう答え、その好奇心から来る紆余曲折のあった今までの人生を振り返り始めた。
高岡市に生を受け、何事にも興味を持つ子に育った。生家では祖母が菅笠の笠縫いをしており、幼いころにスゲが干してあったのをおぼろげに覚えている。
小さなころからものづくりに長け、技術家庭科や図工の成績は常に上位。一方で子どもと遊ぶのも好きで、保育士を目指して高校卒業後は専修学校へ進み、その経緯から福祉系の仕事に就く。
他方で芸能にも関心があり、仕事の合間に津軽三味線を習い始める。街頭演奏などで人気を集めて手ごたえをつかみ、まずは三味線芸人として独立する。

芸能活動にまい進していたころ、ふとした時に見たテレビで後継者不足に悩む越中福岡の菅笠の現状を知り、好奇心が芽生える。
「俺、菅笠やろうかな。昔ばあちゃん笠縫いしとったし」
と中山さんがつぶやき、
「これ行ってみたら?」
と妻の安藤さんが菅笠作りの後継者育成講座の載った高岡市の広報を手渡したのを機に、地元伝統工芸にどっぷりと漬かってゆく。
講座は趣味程度の技術を学ぶ内容であったが、ものづくりが得意な本領を発揮すると、その腕を見込んだ菅笠職人からさらなる修行を勧められ、約3年間打ち込んだ。国の伝統的工芸品に指定された半年後に「日本唯一の越中福岡の菅笠作家」と掲げ、芸能活動との二足のわらじで活動を開始した。
「菅笠はやればやるほど面白くなりました。作り方やデザインなどを、もっともっと身につけようとする探求心が止まらなかった。今で言うところの『沼にハマる』、というやつですかね」とほほ笑む。

菅笠の社会的地位を高めるため汗する日々

好奇心があるから苦労を感じたことは今までないが、菅笠を取り巻く現状には心を痛めている。
「菅笠は元々分業制の内職のような仕事で、工賃が非常に安価です。とてもじゃないけど菅笠だけでは食べてはいけないし、このままだと誰も受け継がず、せっかく国の伝統的工芸品に指定されたのに無くなってしまう。そんな今の状況を変えていかなければと、強い思いで活動しています」
訴える声が一段と大きくなる。現在も菅笠作りに加えて、芸能活動を続けている。少しでも認知を広めようと、芸能の舞台では観衆を前に菅笠の話をしたり、菅笠を使う民謡の麦屋節を踊ったりするなどして汗をかく日々だ。
先述した異業種との連携に加え、今後の展開についても、他の作家との共同個展開催や、菅笠作り教室を全国展開するなどの構想を練っている。

情熱を注ぎ後進の育成と工芸文化の継承へ

中山さんは後進の育成にも思いを巡らせる。
「菅笠はまだまだ伝統工芸の中でもマイナーな品目。ということは、伸びしろもある。やってやろう、という情熱を持った人を見つけて、ともに盛り上げて菅笠の社会的地位を高めていきたいです」と熱っぽく話し、これからの菅笠の伝承と発展に向けて決意をにじませた。

並外れた好奇心と行動力を持った熱情の菅笠作家。価値を高めようと美を追求して糸一本まで丁寧に仕上げられた作品には、この工芸に賭ける中山さんの心意気が詰まっている。

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